わたしが好きな詩人 ミーハー主義的雑文 3−4
るか

 アヴァンギャルドは、初めは理論や作品といった文物として
輸入されましたが、それを深化させることは、政治的実践に踏
み込んでゆくことを意味していました。
 詩誌「荒地」の成功は、このアヴァンギャルドとプロレタリ
ア詩人の業績を忘却させる結果をも齎さずにはいませんでした。
これらの運動の潮流は戦後、詩人会議、新日本文学会、そして
詩誌「列島」等に引き継がれてゆくことになります。
 ここでいう詩的アヴァンギャルドとは、未来派、ダダ、シュ
ールレアリスム等の流れを指示しています。これらは本来、人
間と社会との変革ないし革命を志向する運動でした。政治との
関与は多岐にわたり、ファシズムに接近するもの、アナーキズ
ムに、また共産党に入党するものがあり、禅のような宗教に逢
着するものなどがありました。
 
 アヴァンギャルドという言葉は、「前衛」と翻訳されてきま
したが、これは元は軍隊用語であり、転じて政治的前衛即ち左
翼乃至革新勢力を意味するようになり、これがさらに転じて、
実験的な芸術を指示するようになったといいます。
 戦時を迎える中で、治安維持法の名によって、アヴァンギャ
ルドとプロレタリア詩人の多くは検挙され、あるいは転向(て
んこう。体制批判的な思想を放棄して、政府の政策に順応的な
思想に鞍替えすること。)を余儀なくされ、彼らの活動は下火
になってゆきました。
 
 鮎川信夫らの青春はその只中に営まれ、出征前の彼らは、ア
ヴァンギャルドが穏健化したものとしての、モダニズムの同人
誌を中心に詩人としての夢を追いかけていたのです。しかしそ
れですら、たえず官憲の監視の下に行われたといいます。
 この当時の彼らの活動を、鮎川は作品のなかで、「活字の置
き換えや神様ごっこ」「それが、ぼくたちの古い処方箋だった
」等、表現しています。これらはそのまま、現在の多くの詩人
の営みに当てはまるのではないでしょうか。それが、鮎川によ
っては、「古い」と断言されている。鮎川が存命であったら、
この「現代詩フォーラム」の投稿作品群をみても、「ああ、古
い詩があい変わらずに書かれている」、そんな感想を洩らすよ
うな気がされてなりません。

 そのような古い処方箋としての詩作にたいして、廃墟となっ
た東京のなかで、戦後の鮎川ら荒地派は、新しい詩の営みを志
します。その際にマニフェストとして掲げられたのが、高名な
「Xへの献辞」という文章です。次回は、この文章を中心に、鮎
川ら荒地派の意図したところを振り返ってみたいと存じます。





 


散文(批評随筆小説等) わたしが好きな詩人 ミーハー主義的雑文 3−4 Copyright るか 2011-01-21 14:49:22
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