思い出
小川 葉
帰り道
若い恋人を見た
正確にはまだ
恋人ではなかった
とても美しい光景だった
青白く月に照らし出された二人が
自転車置場で明るく語りあっていた
自転車のハンドルを手にしたまま
そのどちらも自転車に乗ろうとしない
スタンドを立てて
立ち話もなんなので
その辺の居酒屋で、などと
見ているこちらが勧めたいくらいなのだが
こうして青白く月に照らされながら
明るく語りあうのが良いのだろう
これからはじまることを
なにひとつ予測することなく
そうしてそのまま二人は
自転車を押して行ってしまった
なるべくこの時が終わらないように
一歩ずつまた一歩ずつ
嫌なくらいゆっくりと
自転車を押しながら
その後を
ついていくわけには
いかなかったけど
ついていったらついていったで
あのはじめての夜
へんなおじさんがいたね
あれはなんだったんだろうね
などと、思い出話の
登場人物になるのもしゃくだったので
自転車をこぎ出して
その場を去ったのであるが
その夜の月は何とも言いようがなく
たいへん美しかった
若いということは
永遠なのだ
きっと彼らにとって今夜は
終わりのない人生の一頁なのだ
わたしにもかつてあった
だから今夜はやけに懐かしい
家について二階の窓から
青白い月を見ていた
わたしとわたしの家族を
明るく照らし続けていた
あの日妻に会った夜から
なにひとつ変わることのない
終わりのない人生の一頁を
夜風が一枚捲った