わたしが好きな詩人 ミーハー主義的雑文 3−1
るか

 萩原朔太郎、西脇順三郎の次に来るのは、わたしにとって、
鮎川信夫になります。
 実はこの間に、詩史的には、プロレタリア/モダニズムの
時代が存在しているのだが、隆盛を極めたこの時代の詩人た
ちについて、わたしは多くを知らないことを告白しておかな
くてはなりません。鮎川信夫は「荒地」という詩誌のリーダ
ー的存在でありました。活動は主に戦争が終わってからにな
ります。この詩誌に依る人々は荒地派と呼ばれました。そし
て多くの場合、現代詩とか戦後詩と呼ばれるものの端緒をな
しているのが、彼らであるといって大方異論はないものと思
います。戦前から戦中にかけてモダニズム詩に熱中した青春
時代を送った彼らは、戦地から帰還し、荒廃した国土を前に
して、全く異なった作風の詩を書きはじめる訳ですね。とい
って、モダニズムの詩法から訣別した、とまではいいきれな
いと思います。ただ余りにも主題が変わり果ててしまった。
戦後の彼らは美や芸術の夢を個人主義的に詩歌へ託す、俗に
いわれるような意味での「詩人」ではなくなりました。鮎川
の親友だった同人の森川は戦地で死亡し、戦争の時代経験は
彼らに本質的な態度変更を迫ったに違いありません。
 
 これを、モダニズムのプロレタリアへの接近、というふう
に見ることが可能だと思うのです。プロレタリアとモダニズ
ムとは対立的でありましたが、時代がその混交を促したとい
う所があったのではないでしょうか。そしてそのような場か
ら、後発的に、戦後日本の最大の思想家とも目されうる、吉
本隆明という詩人が現れるのです。
 実は、プロレタリアとモダニズムの時代は同時に、四季派
の時代でもあったのです。また日本浪漫派の時代でもありま
した。つまり両大戦間のこの時期、多様な詩的潮流が至ると
ころで渦を巻いていた。それをあえてプロレタリア/モダニ
ズムの二項に代表させたいのは、その力関係こそが現在に至
る詩史を規定してきたもののように私にはみえてくるからに
他なりません。
 私はこのような、<両大戦間>という世界を、率直にいっ
て、愛する者です。そこには、遥か後代の私達が摂取すべき
余りにも豊富な滋養が含まれてあります。
 
 鮎川信夫という詩人の作品と存在とについて何事かを語ろ
うとすると、どうしても、このような時代背景を紹介したく
なる誘惑に駆られてしまいますが、それは何も鮎川信夫の詩
が難解であるということを意味しはしません。寧ろ思潮社的
な現代詩の修辞に慣れた現代の読者からすれば、素朴そのも
のとさえ反映しかねない。わたしが荒地派の詩に触れたのは
大学に入学した頃だったと思います。それ以前は、萩原朔太
郎や西脇順三郎に浸っていた。中原中也やランボー、ヴェル
レーヌなども読んでいたと思います。そこからして、鮎川等
の作品のあり方というのは理解できなかった訳です。そこに
は、詩が、<わかる>とは、何事を意味するのか?という、
ひとつの難題が横たわってもいるのですが。この場合、詩の
、「こころ」というべきものに自分が到達しえていない、と
、感じられていました。端的に、これは作品の質が、後退し
たといえるのではないか?そんな感想を、ファーストインプ
レッションとしては有していた訳ですね。しかし、そうでは
なかったのです。
 
 鮎川信夫について伝えようとすると、時代背景を伝えたく
なる、ということ。
 実はこの主観的事実のなかに、鮎川らの詩の在り方につい
ての大切な示唆が含まれているのです。
 既にお気づきでしょうが、この事実は、かれらの存在と作
品とが、分かち難く時代と結びついていることを意味するも
のに他ならないのです。わたしは<存在と作品と>、と、予
てから申しておりますが、これも当然お気づきかとは思いま
すが念のため、わたしは、テクストのみを問題とする立場を
、この雑文のなかでは敢えて採用致しません。それは一つの
歴史的限定を不可避的に有する理論的立場に過ぎないのであ
って、ミーハー主義たる本小論の意図には添わない方法でし
かないだけではなく、私の不勉強の故でもありますね。
 <存在と作品と>が、分かち難く時代と結びついている、
とは、何事を意味するものでありましょう。
 
 その点を、次回、ご紹介申し上げたいと存ずる次第であり
ます。

(続)



 
 


散文(批評随筆小説等) わたしが好きな詩人 ミーハー主義的雑文 3−1 Copyright るか 2011-01-17 09:29:49
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