わたしが好きな詩人 ミーハー主義的雑文 1
るか

 詩をめぐる、ないしは、詩についての雑文をかいてみようと、急に思い当たった。
それが何になるのかは判らないのだが、誰かに解って欲しいという欲求があるから
だろう。詩とは言葉のあらゆる意味において孤独なものであり、その孤独が反転し
て、全体を希求する何かであろうと思う。ほんとうは詩についての思いは、作品の
形で、お返しするのが礼に叶うようにも感じるのだが、その意味で、非礼をまずは
お詫びしてから始めたいと思います。
 
 わたしが初めて自覚的に詩作品に触れたのは、13、14歳頃の、萩原朔太郎
詩集(新潮文庫)であったと記憶しています。その印象は強烈で、いまだにわたし
は日本の大詩人というと、萩原朔太郎の名が第一に念頭に浮かびます。いまでは古
典といってもいいように思う。国語の教科書やサブテキストにも作品が収録されて
いる。勿論、当時は何も難しいことは判らなかった(今もですが)。象徴主義もロ
マン主義も、てんで意味が判らなかった。ただ、こんなに少ない言葉で、何だか恐
ろしいほどにリアルな情景が喚起されてしまうという事実に瞠目させられたし、そ
こではじめて「ああ、これが芸術ってやつなんだな」と、文化的なものとは縁もゆ
かりもない、北辺の田舎町の、零落した家に生まれ育った子供のわたしは、(おそ
らく)瞳をきらきらさせて、思っていたものです。
 
 今ではあまり、「詩ってかっこいい」とか、「詩人って素敵」なんて思う人は
極めて少数の、奇特な人々に限られていると思います。「かっこいい詩人」、存命
の詩人で誰か、思い浮かびますでしょうか。個人的には、わたしは仏文学科に籍を
置いていたのとも関連して、朝吹亮二ってダンディーだな、とか、感じはしますが
。30を超えたおじさん世代に突入した自分としては、詩人と聞くと、ああ生活は
できているのかな、とか、生きにくい世の中だろうな、みたいな、ある種の生々し
い生活者像が先行してしまって、夢を思い描きにくい訳です。
 そのてん、萩原朔太郎という人は、写真でみ、逸話を聞く限り、「かっこいい」
んですよね。作品もかっこいいが、人物もかっこいい。女性からみるととんでもな
く柔弱で、頼りない男性だったそうですが。で、「かっこういい」って何、という
話になってくる。そうすると、何が「格好いい」ものなのか、格好いい、とはどん
な事で、なぜそれは格好いいのか、そんな話に、当然なってきます。で、それはひ
とつの文化ですよね。詩も芸術も文化の一翼を形成しているものとみなすことがで
きます。つまり、「これがカッコいいんだよ」という、かっこよさの形を創造し提
示することも、文化活動としての芸術、ひいては詩の果たしうる仕事の一つでもあ
るといえると思うんです。わたしのようなミーハー主義者には、中原中也もやはり
、かっこいい。むかし、九鬼周三だったかな、「いきの構造」なんて本があって、
「いき=粋」とは何か、みたいなことを分析していた筈で、同じ事が「かっこいい
」にもできる筈ですけれど、まあ、こ難しいことはいいですね。
 
 で、詩人の格好よさについては、今はいいとして、ほんとうは格好よさについて
もどうでもいいお喋りに過ぎないんだけれども、作品についてちょっと触れさせて
戴きたいと思います。
 この「現代詩フォーラム」に在籍して作品を発表するほどの方々ならば、お手元
に、文学全集の一冊や二冊は当然あるはずですから、だらだらとした引用は控えま
す。一篇ごとの解説もしません。いえ、面倒なのではないんです。もっと全体的な
話をさせていただきたいかな、と。
 朔太郎の主要作品を並べてその詩業の全体を俯瞰してみると、同じ「詩人」とい
えども、現在の詩人像とは、随分異なる存在であったのだなあ、と、気付かされま
す。
 同じところも、あります。まず、生きにくそうですよね。生活しづらそう。そこ
には様々な理由が横たわっていると思われますが、たとえば、「天上縊死」なんて
作品名が、ごく初期のものに出てまいります。縊死、とは、首を括ることです。お
そろしいですね。何故か、死にたかったらしい、と。朔太郎は、なんで死にたかっ
たのでしょう。それも興味ある話題ではありますが、今日は控えましょう。
 違うところ。朔太郎には、「虚妄の正義」というタイトルのアフォリズム集があ
ります。思想的だったり政治的な内容を持つ作品を書く詩人というのは現在も相当
数いらっしゃいますね。すぐに浮かぶのは、確かドイツ文学の先生でもある瀬尾育
生さんでしょうか。朔太郎は抒情詩の名人とされていますが、作品の形では余りみら
れないとはいえ、思想的政治的発言もやっていたんですね。この幅の広さというの
は、現在はちょっとみられないように思います。たとえば、「テロリストの原理」
「唯物史観」なんて言葉が用いられている一節があります。のちに、荒地派の代表
的詩人である、田村隆一さんは、詩的テロリスト、と呼ばれたりもするんです。あ
ぶないですね。
 
 テロリストといえば、9・11の米国同時多発テロを嚆矢として、
社会悪の代名詞的存在でしょう。それを自称したり他称されたりする。詩人という
のは、危険な存在であったわけですね。現代の詩人のなかで、「危険な詩人」とし
て、あなたなら誰を挙げますでしょうか。わたしには一人も思い浮かびません。
 
 先程の、「格好いい」に戻ります。現在やや下火になっていますが、ロックンロ
ールというものも、格好よさを提示するひとつの芸術ジャンルですね。「格好いい
」日本のロックスターのなかで、わたしが注目する一人に、浅井さんという方がい
らっしゃいます。ブランキージェットシティ、というバンドをやっておられた。彼
の曲に、「危険すぎる」というタイトルのものがありますが、これはそのものズバ
リで、どうやら、格好いい、ということと、危険である、ということは、分かち難
く結びついているものらしいのです。萩原朔太郎の存在にも、危険な要素があって、
それが彼の格好よさを、一層輝かしいものにしているとはいえないでしょうか。



つづく ?


散文(批評随筆小説等) わたしが好きな詩人 ミーハー主義的雑文 1 Copyright るか 2011-01-14 11:17:17
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