死者と私の為の夜
salco

高野山僧侶四十名による声明
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ丸坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ丸坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 丸坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 (フェイド・イン=木魚や鈴、床板に地団駄を踏む複数の足音、梵鐘。
  フェイド・アウト)

処女の声
 風や音、川瀬は流れる諸行無常

学者の声
 十億光年の星の瞬きのいじらしさよ、空しさよ
 あの星は、実は五億年前に失せたもの
 灯台守はとうに亡い 闇を進む光に戻る先は無い
 光速を以ってしても越せぬ距離は、膨大な年月で測られる
 光速を以ってしても戻らぬ存在は、死の向こう

若い女の声
 死んでしまったの? 本当に死んでしまったの? 
 いやいや! 
 あの人は何処? 私の愛するあの人は、私を愛するあの人は?
 どうして生きて行けばいいの? 生きられない、あなたがいないと
 生きられない

イタコの声
 失くした子供が探している、母を
 この世にあらず中有の闇を雪盲
 あの世にありても光の中を明き盲
 取れぬ目隠し手を前に、永久とこしえの虚ろを手探りで
 まろびては立ち上がり、立ち迷い呼びながら

二人の子供の声
 オ母サン、オ母サンハ何処? 
 コハイヨ、コハイヨ、此処ハ何処? オ母サンハ何処ナノ?

女衒の声
 お前は、お前も永劫のはぐれ子、永遠のみなし児だ
 さあ、銃を取りなさい

老母の声
 ああ、お前もすっかり立派な兵隊さんにお成りだ
 どうか忠勤報国の殊勲を立てておくれ
 ああ、お前がすっかり立派な兵隊さんにお成りだ
 どうか無事な身体で帰って来ておくれ

二人の母親の声
 坊や、娘よ、坊や、娘よ
 私の可愛い子供は何処?
 何処まで遊びに行ったかしら 何処で迷っているかしら
 遠くで吠える犬の声の辺? お日様落ちた山向こう? 
 それとも流れ星の落ちた辺? もうすぐご飯だよ…
 それともあの子を探すこの足が、擦り減り消えても届かぬ所へ?
 帰っておいで、帰っておいで、お母さんの所に!
 私の呼び声が聞こえぬ所? ああ! 
 私にはあの子の泣き声が、途切れ途切れの泣きじゃくりが、すぐ
 そこに聞こえるというのに!
 乳が張る、胸が裂ける あの子を帰して、あの子を返して
 ああ、おお、ああ、おお!

中年の女の声
 毎晩炊いたご飯が冷めても、あの子は帰らなかった
 毎晩毎日、毎週、毎月、毎年、帰らなかった

比較的若い女の声
 甘え盛りのあの子を置いて来てしまった 捨ててしまった
 会いたい、会いたい、会いたいよぅ
 男はみんな消えちゃった 胸をすり抜けて行っちゃった

二人の母親の声(シンコペイション)
 私は空っぽの揺籃/二度と吾子を抱けぬ母
 私は道端の哺乳瓶/思い出の屍
 私の子宮は納骨の洞/奪われた子供
 二度とあの子は生まれて来ない/切り落とされたこの両腕に
 足は墓石の周りを巡るだけ/石の周りを巡るだけの影

若い男女の声
 部屋がある 残り香と写真
 焼きついた一瞬の堆積 絡み合い、重なる体
 あなたの体温、あなたの声、あなたの言葉、あなたの書いた文字
 服も靴も全てある テーブルの上の赤い心臓は私
 (女)灰皿の中にはあなたの吸い殻
 (男)鏡の前のブラシに残る君の髪の毛

若い男女の声
 シーツの皺は毎日変わるが、ニ度とそこにあなたは来ない
 (男)その髪、その頸
 (女)その肩、その腕
 (男)その胸、その腰
 (女)あの背中、脚さえも

若い男女の声
 指先さえ、指先の爪さえ 足音さえ、影さえ
 君を抱き寄せたい あなたに抱かれたい
 微笑んで もう一度笑いかけて 僕を見て 私を見て
 (男)お前を嫌いになれば良かった 紙屑のように捨てれば良かった
 (女)あんたなんか愛さなければ良かった 知らん顔で通り過ぎれば
    良かった  
 (男女)―― 本当に?

若い男女の声
 あなたはいない 部屋は空っぽ 感触も体温も
 西陽の毎に年を取り、朝陽の毎に死んで行く
 (男)僕は毎日何故、と問いかけている
 (女)私は毎日何故、と言い続けている
 (男)持たされたのは、頭蓋に閉ざされた思い出だけ
 (女)違うの 思い出の檻に閉じ込められた私だけ

女達のヒステリックな笑い声
 引き裂かれた恋人達! 引き裂かれた恋人達!

男達の哄笑
 先立った恋人! 先立った恋人! 
 お前なんか愛さなければ良かったのさ!

女の声
 違う、引き裂かれたんじゃない
 引き裂かれているのは生き残された心

男の声
 そう、先立たれたのではないよ
 君への愛は変わらないんだ、変わらないよ

老婆の声
 ―― それもとうに遠い昔

高野山僧侶四十名による声明
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ丸坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ丸坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 丸坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 坊主になれ坊主になれ坊主になれ坊主になれ
 (フェイド・イン=木魚や鈴、足音の錯綜。フェイド・アウト。
 フェイド・イン=鈴虫の声と時計の音)

少女(処女より若い)の声
 風や音、川瀬は流れる諸行無常 
 心も流れる

学者の声
 時こそは、時こそは
 命あるものこそは時
 枯葉が二度と枝付かぬように、冬の次は秋でなく、秋の次は夏でなく
 老婆の次は女でなく、女の次は少女でない
 誰が時に逆らえよう 時は川、人は木の葉、誰が流れに逆らえよう 

老婆の声
 ええ、そうかも知れない でも、心はそんな川の行き着く小さな湖
 時は流れを遡り帰って来るようだ
 さざ波も飛沫も無い平らかな水面には、在りし日の空が映っている
 陽射しがきらきら輝いている 
 私の胸の中にはいつまでも世界が残り、人が生きている
 此処こそは永久の住まう場所、飛べぬ渡りの鳥どもの安らう国
 若かったあの人との年月は全部、此処にしまってある
 あの人と逢う時は、私もいつも若いまま 
 其処こそは、まなざしと微笑みを交わす場所
 年月は少しも年を取らず、衰えもせず、欠けもせず汚れもせず
 冷えも病みも消えもせず、ほら、あの人は彼処に生きている
 私が呼べばいつでも応え、この手を包み込み声を聞かせてくれる
 震えていれば引き寄せ顎の下にかき抱いて守ってくれる
 廻り来て顔を覗き込み、甘やかな音楽と温かい息を吹きかけてくれる
 手を取り合って寄り添い、二人は再び歩き出す

若い女の声
 ほら、あの人が駆けて行く 何と若く美しいのだろう
 ほら、手を振った 
 あの人は何処へも行きはしないのよ 
 何故ならとうに行ってしまったから

老婆の声
 ずいぶん待たされました
 やっと、私もじき、あの人と本当に手をつなぐだろう
 此処がその約束の場所
 私が永の眠りに目を閉じて、あの人と待ち合わせる所

若い男の声
 どうしたの、君はいつも遅刻だね!

若い女の声
 この老い衰えた殻を脱ぎ捨てて、あなたの待つあの丘を駆け上り
 抱き合って、二度と離れない
 何処までも、いつまでも私達は一緒に行くだろう 
 この大きな涙の溜りを後にして

若い男の声
 その時、僕らは初めて時を超越する 
 その時、例えば時は
 掌に載せた水晶玉の中の、小さな小さなパノラマでしかない
 さあ、行こう


自由詩 死者と私の為の夜 Copyright salco 2010-12-22 21:00:14
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