よわいひと
あおさか

「さびしいとつぶやいたってきえませぬ」

ひとりぼっちの夜中にホットケーキを焼いていた。脂っこいカップラーメンひとつじゃあ、この欲張りなお腹は満足してくれなかったから。甘い匂いが漂って鼻の奥はひくひくしている。フライ返しをつかんでホットケーキをひっくりかえす。なにこれ生焼けじゃないか。生地がフライ返しにべっとりとこびりついていた。それをぺろりとなめてみる。できるだけ、セクシャル、に。わたしの真っ赤で扇情的な舌に絡みつくその生地が、もしも精液だったならば、昨日わたしを見ておませさんだなと侮蔑の笑みを投げかけてきたあのひとのことをも興奮させることだってできるのに。ざんねん。ボウルにこびりついているのこりの生地も舐め取る。わたしにとってその行為はもはやわたしがしなければならない行為であるように思えていた。この物体には中毒性があったのだ。ふと気づく。隣でまんまるお月様は黒焦げになっていて、ぷすぷすいっていること。いつのまにか体が干からびてしまいそうなほどの空腹なんてどうでもよくなっちゃってたものだからなんの迷いもなく三角コーナーに放り投げてやって、それきり、さようなら。たべものをそまつにしないの、昔の男ならそういってわたしの頭をこづいたはず。そしたら、わたしは三角コーナーに沈んで、すでにふにゃふにゃにしぼんでしまったお月様を彼の口にねじ込んでにんまり笑ってやったのだろう。彼は、お前ドMだもんなあといって頭を踏んづけてやれば喜ぶような淫乱だったのである。だからわたしのしてきたひどいことは全てが彼にとってあまい甘い極上のごほうびだったのだ!


「今、わたし、呼吸をしてゐる」


小汚い部屋に戻って、こたつの定位置にもそもそともぐりこむ。こたつの中はすっかり熱くってやけどしちゃいそうだと思ったけれど、何だか急にすべてめんどうでしかたなくってしまって、ごろんと転がったままずーっと目を閉じていた。電灯の明かりがわたしのまぶたを通り抜けて眼球をちくちくと刺している。うっとうしい。こたつが足の皮膚をちりちりと焼いている。うっとうしい。なんだかよく分からないけれど、結局は世界中の何もかもがうっとうしくなっちゃって、しまいには自分の存在がうっとうしくてたまらなくなって涙がぼたぼたとこぼれ落ちた。ふわふわの小汚いこたつ布団と指が涙で湿ってふにゃふにゃにふやけてしまった。昔の男がここにいれば、しょっぱい涙がつたうわたしの頬をべちゃべちゃとしつこいくらいに舐めてくれただろうに。思いっきりおなかを蹴ってやったらもっともっとっていって勃起しながら呼吸を荒くするだろうに。世界には君が必要なんだよってうっとりした目でわたしを見つめながら言ってくれただろうに。

結局わたしが持っているものなんて何にもなかった。最近得たものなんてそこらへんにいた怪しいおばさんから買い取った幸福をもたらすパワーストーン。変な色。気に入らない。金返せ。あとは、ポケットティッシュとか、もらったかなあ。こんな部屋、空虚な穴みたい。テレビのむこうから楽しそうな笑い声。むかつく。みんな消えてなくなっちゃえばいいのに。楽しそうにしてるやつらなんてだいきらい。いつも、そう、わたし、おいてけぼりなの。テレビを消したらお隣さんのカップル、セックスしてる音聞こえた。きらいじゃないよ、こーいうの。壁に耳を押し付けて、その情景を思い浮かべてみる。今騎乗位かな。女の人の押し殺してるけどどうしても漏れちゃう声から、気持ちよさでどうにかなっちゃいそうなんだなあって思ったら羨ましくってしかたなくなっちゃって、壁をドンドン叩いた。ぴたりとやんだ全ての音。空虚。あはは、乾いた笑いを漏らしてから、急いでキッチンにいってふにゃふにゃべちゃべちゃのお月様をつかんで、ベランダに飛び出してお隣のベランダに投げつけてやった。お月様今度こそ本当にさようなら。もう世界に夜はやってこなかったらいいのになあって思ったけれどこれはただのホットケーキだったから世界にはなんにも影響なかった。わたしだって一緒だった。世界になんら影響を与えることない空虚なかたまりだったのだ!


「あ、帰ってきた」


ぎいとドアが開いた音。おかえりダーリン!と仕事ばかりの彼に叫んで抱きついてそのままベッドインすれば騎乗位でファックしてあっという間に涙も乾いちゃうわけです。空にはまんまるお月様。明けない夜がいちばんほしい。
つぎにハムスター。

(よわいひと)


自由詩 よわいひと Copyright あおさか 2010-12-18 00:58:49
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