ジョーイとロザリー
ホロウ・シカエルボク



黴臭い屋根裏部屋の壁に残るいくつもの傷は昔、幼い兄がもっと幼い妹を数百回刺して殺した跡…妹は、痛いと言えなかった、それが兄との約束だったから、大好きな兄との約束だったから(いいかい、これから僕がいいと言うまで絶対に痛いと言っちゃいけないよ、もしも約束を破ったらロザリーとはもう二度と口を聞かないからね、じゃあ、始めるよ!)妹は絶対に声を上げなかった、大好きな兄が絶対と言えばそれは絶対なのだ、絶対に絶対に絶対に絶対なのだ、妹は喉を締めつけて声を殺した、涙をぼろぼろ流しながら、かたく目を閉じて、早くそれが終わってくれることを願っていた、それは終わった―彼女自身の死で―もしも禁忌を破って声を上げていたなら階下で眠っている両親が気づいたかもしれないのに


朝になっても降りてこない兄妹を不思議に思った母親が屋根裏部屋で見たものはぼんやりと立っている兄のジョーイと、血の海の中でうつ伏せて息絶えているロザリーの姿だった、窓を固く閉ざした薄暗い屋根裏部屋で、それはまるで行われてはならない儀式のように見えた―ああ、ジョーイ―あなた、あなたはなにを―…ママ、ぼくたちはゲームをしていたんだ、ぼくたちはゲームをしていただけなんだ、そしたら、ロザリーが…―ジョーイはそれをまったく無表情で淡々と話した、うろたえた母親が尻もちをついた、ジョーイの右手には肉を切る為の包丁が握られていた―「ママも、やる?」母親が服をロザリーの血で汚しながら階段を転げ落ちるように降りてきたことに気づいた父親が動転した母親を休ませ、様々な連絡を済ませた、家族の朝食は二度と出来上がることがなかった


ロザリーの遺体は無惨な有り様だった、死体を見慣れているはずの警官や医者が皆一様に顔をしかめた、それがまだ年端もいかない少年がしたことだなんて到底信じられなかった―ロザリーはすべての爪を剥がれ、すべての部分を切り裂かれ、右の頬の皮は剥がれていた、「こんなのは悪魔のやることだ」検死にあたった医者はそう言った、仕事を終えた彼は幾分歳を取ったように見えた―悲鳴や、争う声など、なにも聞こえなかったのですか―?はい…私どもはもう休んでおりました…あの子らは昨夜もとてもいい子にしておりました、こんな、とても、こんな―母親は青ざめて横になったまま起き上がることが出来ず、父親は気丈に振る舞ってはいたが決してすべてを事態を把握し切れていないことは誰の目にも明らかだった―刑事は両親が事件に関与している可能性は万にひとつもないと判断して質問を打ち切った―父親は痴呆症の熊のようにゆっくりとソファーに沈んでそのままぴくりとも動かなかった


ジョーイは山中のある施設に送られ、残りの少年時代をそこで暮らした、性格も明るく、食事の前にはきちんとお祈りをし、与えられた空間を無闇に汚すことは決してなかった、それだけに施設の大人たちは、どうしてこんな模範的な生徒である子供が、妹殺しなどという忌まわしい罪を持ってここにやってきたのかと疑問に思った―ジョーイの明るい茶色の髪と、同じ色の目、白い肌、周囲をぱっと和ませる笑顔―そんなものを愛しく思いながらも、彼等はジョーイのことをどこか怖がっていた―幾年かが過ぎて、ジョーイが大人になり始めたころ、それは別の恐怖に変わった、しかしジョーイはそれまでと変わらず、優しくおだやかな心のままで毎日を過ごした


事件から18年後、ジョーイは大人用の施設に移ることになり、バスで移動している最中に忽然と姿を消した、腹痛を訴え、ショッピングセンターで個室に入ったきり出てこなかった―そこには窓がなく、監視員も気を抜いていた―ジョーイは音もなく、換気口の覆いを外し、ダクトを通って建物の外へ逃げたのだ、道具をどこかに隠し持っていたのに違いなかった、身体検査は型通りのものでしかなかったから―ジョーイは模範生で、何かを企んでいる素振りなど少しも見せなかったから―すぐに各方面に連絡が行き、周囲の捜索が開始されたが、誰もジョーイを見つけることが出来なかった、捜索が開始された頃には、ジョーイはそのあたりには居なかった、彼は駐車場で重そうな荷物を苦労して車に積み込もうとしている老婦人を手伝い、その礼として駅まで送ってもらっていたのだ―監視員が個室のドアをよじ登り、中に誰もいないことを確認したときにはジョーイはもう列車の中にいた、老婦人に嘘の事情を話し(妹が重い病気と聞き、慌てて寮を出てきたので財布を忘れた、一刻も早く故郷に帰りたい)、いくらかの金を借りていた、疑えばいくらでも疑える嘘だが、ジョーイが言うと嘘には聞こえなかった、「妹さんの無事を祈っているわ」と老婦人はホームまで彼を見送りに来た


数日後、ジョーイは生まれ育った家にやって来た―どこで手に入れたのか、フードの付いたコートを着て顔を隠していた―もっとも、顔を出していたところでもう誰もそれが彼だとは気付けなかっただろうとは思うけれど―家は空家になっていた、扉には「売家」と書かれた看板がかかっていたがそれはもう役に立たないほど色褪せていた、ジョーイは扉に手をかけた、それは簡単に開いた…ジョーイは合鍵の隠し場所を知っていた、実際に使ったことはなかったけれど―玄関脇に並べられた使っていない小さな鉢の右から三つ目―それはあのころと同じくそこにあった、ジョーイは鍵を開けた、ドアを開き、ただいま、と言った、父親と母親がおかえりと口々に言うのが彼の耳には聞こえた、彼は微笑を浮かべたままとんとんと軽い足どりで階段を上り―上るごとに彼はどこか子供に帰っていくみたいに見えた―まるでそこに待っている誰かが居るみたいにまっすぐに屋根裏部屋を目指した、「ロザリー!ロザリー?」彼は叫びながら屋根裏部屋のドアを開けた、血まみれで彼を振り返り嬉しそうに笑うロザリーの姿が、ジョーイには、見えた―「もういいよ、ロザリー!」ジョーイは叫んだ、そして、フードの付いた重いコートをさっと脱ぎ捨てた



「僕の番だ、ロザリー!」



自由詩 ジョーイとロザリー Copyright ホロウ・シカエルボク 2010-12-17 18:09:38
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