コピー用紙の上に書かれていた言葉
番田
たどたどしい声で街を流れながら歩いていく私は、今日も緑色のスターバックスを目指していた。焦げ茶色の色に磨き込まれた窓のスターバックスが向こうに見えてきた。3年ぐらい前に品川の原美術館でその展示を見に行った事はあるが光を使った面白い展示だった。明日はどんなことが世界で起こっているかはわからないのだ。
物価は下がる一方だ。ブランドも色々な価値を、私に提示しては過ぎていく。そのブランドがやってきてはすぐに、私は飽きてしまうから。昨日、GAPを着ていた人は、今日は無印良品で、明日はユニクロやZARAに走っているのかも知れない。そうして、現在の自分に戻ってくる。出たり入ったりしていると目の前のコーヒーは冷めていたりもする。
人が出たり入ったりしている。新しい仕事は、キツそうであった。しかも自分にできるかどうかなどの保証はない。なんとか同化して時をこなしていかなければこんな喫茶店に入る事もできなくなる。前にこの部屋に住んでいた人は、どんな人だったのだろう。微かな傷のようなものが床にはつけられていたりした。それに触れてみると微かな音を立ててこすれた音を立てた。この傷に触れた者は前にもいたことがあるのだろう。そして今はどこにいってしまったのかと思う。
スターバックスの店員は、私のことを明日も覚えているだろうか。わからないけれどなんとなく、テレビを見ている。テレビ画面には、色々なコメディアンの姿が入れ替わりで登場している。赤や黄色や水色などの彩りの服で、自分自身の存在をアピールしている。ステージはパッチワーク状のモザイクのタイルが模してあった。マイクは、ONKYO製なのだろうか。どこかで業務用機械の販売に特化していると聞いたことがある。村上春樹の小説は面白くなかった。
そこいらの芸能人の書いた物の方が、面白いと思えた。それはなぜだろう。それにこうしてぼんやりと流れていく人や、景色を見ている方が楽しい物だ。街角からは素敵なBGMなどが流れてくるし、華やかなパレードがそこに行進してくることもある。家に帰れば、平穏な時間が流れていく。それは、誰にも何も与えることのない神聖な世界だ。
インターネットラジオからは、知らない国のメロディーが流れてきた。その国で流行っているものがスピーカーを通して溢れ出てくることは素敵なことなのである。イギリスでは、ダミアンハーストというアーティストが、活躍していると思えば今では、ニューヨークでオラファーエリアソンという芸術家が活躍していると聞いた。
色々な色やカタチが、目にもとまらない勢いで過ぎていく。壁はそこにいつ張り替えられたものなのだろう。私のこの部屋に来た時にはすでに違うものに張り変わっていた。角の席に座り込んでいるおじさんを気にすることなく、ぼんやりとそこに腰を下ろしている。壁に掛けられた絵は、絵画とも、イラストとも言えない風情を呈していた。色々な人が出たり入ったりしている。緑色のエプロンを下げた店員が、色々な対応をしている。
笑顔であったり、平然とした顔であったり晴れやかであったりもした。だけどほとんどはにこやかな顔をしている。そんな風景を眺めさせられながら遠い遠い過去の思い出に、思いを馳せている。小学生の頃のまだ落ち着きの悪かったころの自分がそこに浮かぶ。私は本当にどうしようもない悪ガキだった。