ビル街のアオスジアゲハの蝶道はヒトの歩道の少し上のほう
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東京のオフィス街にもアゲハはいるそうだ。
過去に、歩道の少し上をゆらゆら飛んでいるのを見たとゆう人がいた。
通常、たとえば天気のいい日の場合だと、アゲハは日の当たる樹(陽樹)に沿って飛行する。視力の良くない複眼で"ちょうど今、現在"日の当たってる樹木の葉っぱから発せられるミドリの光線の輝きをキャッチしながら飛んでいるのだろう。
だから。
「ビル街でアゲハを見た」 とゆう人の発言には、
その人は、午前か午後かわからないけれど、天気のいい日(晴れ間のある時間)、少なくともクスノキなんかの街路樹が生い茂る歩道を歩いていた可能性が高いし(葉のすき間から宝石のよーな木漏れ日が、その人の足元にキラキラこぼれ落ちているよーな、ビル街の歩道)、そうゆう情報が含まれている。
ゆるやかな天体の運行により、午前と午後で樹木に射す日の向きが変わると、アゲハはその人のいる歩道側ではなく、車がびゅんびゅん行き交う車道側を飛行するようになるかもしれないし、もしかしたら車道を挟んで、反対側の歩道のすこし上の、樹木のミドリの輝きに沿って飛ぶようになるかもしれない。
季節はたとえば初夏くらいで、その人はまだコントラストの明るいスーツを身に纏い、これから地下鉄に乗り込もうとしているところだったかどうかはわからないし(違うよーな気が..)、それがいつなのか、どこなのかもさっぱりわからないけれど、、すくなくとも。
その人はいつか、そうゆう場所に、時間に、文脈に、確かにいた、とゆーことだ。
かつて、アゲハを見た、とゆー人がいた場所。
それは具体的などこかの場所のことであるのと同時に、この世の地図のどこにもピンを立てることの出来ない抽象的な場所のことでもある(アゲハは、少なくとも人間の認識世界や地番制度やメートル法の外にいるだろう。それはまた、人間の時間法則では測ることが出来ない不思議なタイム・ゾーンでもあるだろう)。
そして、アゲハを見た、と告げること。
それは、その人がこの世界のどこかに存在したことを、"どこに"ではなく、"どうゆう時間に"存在したかとゆうことを、わたしに教えてくれる。 その人の生きた確かな時間を鮮やかにすなどり、そして、そこにはいなかったわたしに、わたしのいないこの世界があったことを、知らせてくれる。