豚肉を哲学
salco

天高くヒト肥ゆる秋雨の宵
換気扇がブーブーと油煙を吐いて
焼け爛れたローズマリーの匂い
隣のアメリカ人は今夜も豚肉らしい
ブーブーブー これで一体何頭目?
カンサス・シティーの豚舎の嘆き
謎の黒頭巾が棍棒を振り下ろす
「グエエエ!」
総じて人間、1日3回腹が減る
殺生はだからやめられない
凡そ食えなくなるのは癌死の2週間前
それだって飢渇は覚える
モルヒネが心筋まで侵し昏睡するまでは
生活/生活/生活だ

指を入れてもらうのは気持いい
そんな愛玩の間は、何か
家畜になった気がしないでもない
何となく獣医と雌牛の尻が目に浮かぶ
花芯だの肉棒だのと、陳腐な表現は嫌いだけど
Ching in Puss
お道具が入るとようやく対等に人間らしく
うわごとみたいにもっと、もっととお願いする
演技っちゃ演技、本気っちゃ本気
ケラクはゴラク、
生理欲求でホーム・ドラマの一環だ

でも、さほど本能的ではない気がするんだ
人間の場合、脳幹に根ざしているのは行為の1割ほどで
多分に意識下での修飾を受けた発動なのだ
快楽とは感覚だが、認識するのは脳であり
その条件づけは極めて恣意的かつ文脈的だ
人間は条件選択によって自己生を規定している
それを剥奪される1例がアウシュヴィッツ行き
そこに於いて唯一許される自由は、
逃走=射殺ぐらいのもの
アンネ・フランク一家の如き幸運は
判断と実行に優れた父親の資力
その常人ならざる警戒心以上に、
稀少な手蔓がなければ叶わなかった
それさえ義理堅い支援者の行動が露見しない限り
という可変条件を前提にした博打であったに過ぎない

小学校の卒業文集で花屋になりたいな、と書いた
つまり花々の所有者なりたかったという事だろう
こーゆー陳腐な行為のメタファーでは決してなく
窓辺でお空見ながらこんな事態は夢にも思わなかった
少年よ大志を青年よ恋人を
中年よ何を抱けばいい?
登記謄本の写しと預金通帳、あとは保険証書か?
こんな事いつまで続けるんだろうねと考える
厭世感ではそれはないのだ、業について倦む事は
パスカル以前から延々考えられて来た倣いに過ぎない
セロテープで透明と接着をたわける独り遊びのようなもの
俯いて延々と、考え足したり剥がしたり
言葉遊びは無価値なヒマ潰し
だからエッチは止められない、だって気持いいんだもん
だから行為中には考えない、恣意で濡れるのに忙しく

しかし放棄も我慢も常に可能ではあるのだ
自分にそれを課していないだけの話で、
課したところで何なのだと思うところもある
尼さんが何ぼのもんじゃ? 
剃髪の女人がエラいのは求道と早起き雑巾がけで
交情断ちがその本義ではない
何せ煩悩は108つあるらしいのよん
すると、1コ多い109は
東急の、仏教に対するアンチテーゼなわけか?
東急電鉄は阪急電鉄に対するアンチテーゼで
文化村と五島プラネタリウムは宝塚歌劇団への対抗意識で
西武グループは堤康次郎の貴方に対するアンチテーゼでしたが
五島さん、そうなんでしょうかっ!
小林一三めっさグレイト!

ただ、貴方がたと私めの違いはそう大きくはない
田園都市の開発をしたか否かぐらいで、
その自己実現や自己利益は社会貢献度などというわけのわからない、
矮小化も誇大化も随意な偽善的尺度で測るべきではないのだ
何故なら20世紀、土地開発など他の企業でもできた
目端の利いた経営手腕の他は
宅地分譲からの派生利益独占の為に資本を投入したに過ぎない
江戸時代に測量を行ない地図を作った偉大とはわけが違う
事業とは、知の地平に於いてのみ敷衍される
文明はなべて衰退へ向かう刷新だ
放射性廃棄物を除けば、人間が蓄積し得るのは知だけ
これが人類の下す評価というものだろう
だからその意味で資本家は、
無能無名で無価値極まりない労働者階級の私と大差ないわけさ

人生って何だろうね
結局、人間って何の為に生まれて生きるのだ?
ブーブーブー、ブーブーブーの為だろう
ただのブーブー、ひねもすブーブー
慣性の心電図上を脳波が踊る
食って屁こいて糞して苦しむ
何ゆえ苦しむかと言えば、大方は生の空疎に
空気が透明で先行きが不透明だからと苦しむらしいのだ
古からそうでなかった例は一日いちじつたりともないにせよ、
毎日毎日課せられる務めをこつこつこなすだけじゃ
なるほど杉原千畝やミープさんにはなれそうもない

ましてマザー・テレサや沢田美喜
宮城まり子もか
益体もない人命を無償で負う
私財を投げうってまで混血孤児を負う
生の時間を、寸暇さえ放擲して障害児を負う
それで教団上層部や役所、銀行に何度もかけ合い
来る日も来る日も世人の無理解無関心、蔑視偏見、罵詈雑言に遭う
何しろ「マザー」「ママちゃま」「おかあさん」
赤の他人からそう呼ばれるまでに貫徹するのだ
ヒトサマの初めて役に立つとはそういうことだろう
人間の「情熱」とは、こうした酔狂のことだろう
後世、炎の画家と称されるに至ったゴッホの狂気と等質だ
その個人的業績を作品と見做せば
にんげんの公益財産である事も変わらない
1つ違うのは、
無為徒食の俗物共からいまだに売名、偽善と嫉まれる
その矢面に立つ代行者、事業を買い上げてくれる後継は誰ひとり
誰がなりたい? 
ブーブーブーだろ人生は


自由詩 豚肉を哲学 Copyright salco 2010-11-23 16:04:16
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