つわる
salco

人類は実に
新たな生命の存在を
吐き気でもって知るのだ
吐き気でもって

つわりは悪阻と書く
なるほど悪詛に違いない
ふしだらに股を開き快楽に耽溺した
メスザルへのささやかなる天罰か

ものやわらかな匂いの全てに
食欲を失った女は柑橘類に飢えながら
ブタのように食べまくる
これがお前の母親だ
これがお前の若い若い
若かりし母親の姿なのだよ
月経の遅れにトイレで蒼ざめていた
お前のママだよ
そして征服者たる父親達は皆
カレンダーを逆めくりしながら
誰も最初は信じようとしない
本当に俺の・・・?
産院での恐怖のご対面を
とりあえずは怯えつつ待つ

透き通った月面下で
その密やかなコバルトの海の
温水の中で
お前は地上に備えて眠り続け
目覚めた時は思い出したように
その蒼く薄い月の内から
ノックをしたものだ、その小さな足で
腹の皮一枚外に出るずっと前から
指しゃぶりを盛んにして
だが無いものねだりの苦しみなど
まだ知りもせず
細く過敏な神経反射の他は
夢も現も覚えずに

ある時突然
お前の小さな隠れ家は緊張と痙攣とに崩壊し
狭い産道がお前の顔を歪ませて
外へ外へと押し出そうとしていた
苦しげに口をへの字に曲げ
手足と体を硬くして
泣き声さえもまだ知らず
お前は誕生の恐怖と
不当な虐待にじっと耐えるかのようだ
人生さえも、
その時はまだ別世界の出来事だった

それはひんやりとした
刺すような空虚の刺激だ
摂氏37度の海水の心地良さは
とうに失せたとは言え、
狭く柔らかな暗黒世界の安寧へは
もう二度と戻れない

チューブの絆が断ち切られ
引きずり出された極小の半漁人は
頑なに眉根を寄せていたが、
海水を吐き出さされ肺呼吸を強要されると
その斬新な痛みと喪失との衝撃に
拒絶の絶叫を
人類の第一声を上げる
しかしそれはか弱い声だった
おぼつかぬ、
それで誰も目を覚ましようのない程の
か細い抗議だった

あの月面下の海水とは似ても似つかない
肌がひりつくような塩素混じりのお湯に
浸されたお前達は
早くも老学者のような気難しい顔をして
不快な世間にイヤイヤをし続けるが、
誕生の重い疲労にうつらうつらし始める
内心びくびく震え拳を硬く握っても、
今や相手のなすがままの
小さな小さな気難し屋に過ぎなかった
赤く、皺だらけな、
醜悪極まりない動く肉塊
―― それがお前だった
儚い喜びと、行く当ての無い怒りと
失望と悲愴のありったけを
その小さな容積に詰め込まれて行く
柔らかな容器 
―― それがお前だった


自由詩 つわる Copyright salco 2010-11-21 00:07:58
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