一ヶ月ぶりの女
はだいろ

おかしなもので、
呼ぶ前から、この女はきっと、
がっかりするような女だろうな、と頭のどこかでわかるのに、
何かのひっかかりがあって、
呼んでみたら、
やっぱり今日のように、ハズレの女なのである。


風俗、やめようと願ったけれど、
このところの、
サラリーマン生活11年目の限界説に、
顔面も軽く神経痛で、
ストレスのやり場がない。
神様、ぼくはこころの弱い人間です。
あー遊ばなければ、顔面が歪む。
ような気がしたんです。
かみさま。


でも、
いったい、生きるということは。
生活するということは。
自分自身でいるということは。
どうゆうことなのか。
とても、考える。
地下鉄で、考える。
サラリーマンにはとうとうなれないということに、
気がつく。
すっぱだかで、空を見上げたいと、
願う。
だれもぼくの上司なんかじゃなく、(あたりまえだ)
だれも、ぼくの部下なんかじゃない。


ぶさいくな上に、
新人指名料をごまかされたので、
もう二度とこの店は使わない。
しかも、
生で入れよう入れようとするのに参った。
ぼくは断じてゴムをつけたのだけど、
Mサイズのコンドームは、
入れてる最中に、
バチン!と音をたてて破けてしまった。
危ないったらありゃしない。


嘉村磯多という、山口県の小説家の、
「業苦」という小説を読んで、
ひどく感動する。
こんなに醜いこころを、
こんなにありのままに著せば、
なぜか、
こんなに透き通るような救いがある。


このごろよく寄席に通っている。
落語のいいところは、
たとえ、
本質から外れようと、
それはそれで、いいんだよ、
という自由さにある。
そして、それは、本質の厳しさの逆説でもある。


ぼくは本質的な、
人生の美しさや厳しさに、
ぼくじしんとして、
挑まなければならないときが、
近いのではないだろうか?
あんなぶさいくな女を抱きながら、
そう考える。

もしも世界がすべて、美しいものばかりでできているならば、
なにひとつ、
美しくはないということなのだから。









自由詩 一ヶ月ぶりの女 Copyright はだいろ 2010-11-16 23:00:16
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