残照 / ****'98 '01改編
小野 一縷

午後2時43分の光
とろけた白い蝋 
傷だらけのソファー 肘掛の隙間に詰まった 
粉っぽい埃に染み込んでゆく


強姦されたんだ ぼくは自分に
犯されたんだ 俺はぼくに
やり終えた奴が
こっちの虚ろな視線を気にしながら
いちもつをしまい込んで 雑踏へと 消えていった

いかさまなしの熱っぽい情事の後
路地裏  ざらつく黒い泥
思いの外 刺激的だった 強姦の至福と絶望を
冷たさの中  何度も噛み締めている

そんな午後の陽射しに 融け出した蝋燭

セックスにもマスターベーションにも
とっくに ぼくは 飽きていた
ただ なんとなくヒマだから やっていた
やったほうがいいかと思って やっていた
不毛な体力の消耗と体液の排泄


怠惰を告げる白い鳥が 自己嫌悪の窓辺に降り立って言う
「自分の性器の形を熟知してどうする?」
鳥の くびれた頭を掴んで へし折る


自分と自分の性交渉
知り尽くしたつもりの体にも心にも 
まだまだ未開の扉は 呆れるほど いくらでもある
その ひとつひとつを 開いてゆく
ひとつ優しく ひとつ強引に
ひとつ 扉を また ひとつ 


・・・・・大きい  なんて大きな門なんだ・・・・・


融けて溜まった蝋が  溢れ出す  崩れ落ちる
罅入ったビニールのソファーに 白い影
午後3時35分
太陽というには あまりに白く巨大な門
手の平をかざす 
高すぎる  遠すぎる   眩しすぎる
門よ  これ以上
この体を 融かさないでくれ


足りない
血が足りない
君が血で書いていった詩   「赤い糸」
君が引いていった 言葉の糸  
君が繋いでいてくれた 命の糸 生命線



やがて 「きみ」もいなくなって
Nとは話さなくなった  Kとは二度と会わないだろう
Tとはいつか喧嘩になる  間違いない
金がない 日雇い銭がない
決定的な欠落だけ ここにある
停泊していた 今が 不足から不在へと
出航する


もう これは 旅ではない
逃避行
容易く 捕まりはしない
脱獄
サーチライト 視線の銃弾 
罪相応の蔑み 
それは 視線にすら 免疫のない
自分にしてみたら
極刑の 無言の宣告に 値する


ボロで騒がしい車を奪って
鑑別所の中 掃除用具入れの中 
すえたモップの枝垂れの中に
隠れていよう 


ああ これは ぼくではないよ 間違いなく
ここには 誰もいない 今の心理状態
やがて忘れ去られて 消えるんだろう
誰もが 仮だ  所詮


温度や音と同類な自身
現在の印象に記号を付けてみる
それを 今度は消してみる
印象 やはり何も残らない 
ただの現象ではいけないのか
なぜ自分らしさとか 個性とか そんものに こだわるのか
自身は ただの移ろいの連続 出来事はただの時間の経過

音楽は終わって 日々の音が 再生される
少なからず 明日のことを 思ってみる
そこから立ち返って 今という今日を思ってみる

俺の中に隠した ぼくを 俺は出し方を知らない
俺は 薄汚れた上着と 愛想笑いの中にいる
馴れ合いから殺意を抽出すると
そこにいくつかの ぼくの成分
主成分の隠し場所は 俺の中にない
たしか
君の中に一つ  きみの中に一つ  そこら中に一つ 二つ
あとは忘れた
これを健忘症というのだろう
だから これも ここも もうじき忘れる
やはり仮だ これも それも あれも
湧いては 消えてゆくものを もう 恐れなくていいんだ


盲目
光が    光が 小さくなってゆく
あなたの痛みを  その悲しさを
あなたの思いを  その優しさを
見失ってしまいそうだ 
忘却 
消去されてゆくみたいだ
失明 失意 
闇が じっとりと 沁みこんでくる

もう一度 昇って 昇りつめて  
仮初でいい 光を手にしなければ
ぼくはまた 最初に自分を そして順に
全てを みんな 全部 全てを
壊してしまいたくなる

ごみと猫の小便臭さが充満する床
ずたぼろベットカバーの しみったれ

架線上を滑る 雲の流れと同じ速さで
ずっと持ち合わせて 色褪せた 自分らしさを 
一つずつ 塗り潰し 捨ててゆく

ぼくの死肉を求めてか
鳥が一羽一羽 輪になって
雲を素早く 掻き回す


自我よ 焦るな 恐れるな


素早い雲の回転 時計の針を追い抜く
筋力が 体力が 心の強さが それらの形が 失われてゆく 
意志が 意思が 意識が こぼれてゆく
その隙間に 流れ込む 喪失という 代替えの快楽

これは
充足感か?
あいつらの蔑み その表情が
きみの繊細さ その指の震えが
君が別れを告げた時の 悲しい笑顔が
確かに ここに 現れて また 消えてゆく

これは
罪悪感か?
あといくつ 「ぼく」が残っているというのか
あといくつ 「ぼく」を放棄すればいいのか


何処までいけばいい?
一体
ここに 誰が残るんだ?
ここに 何が残るんだ?
何を残したいっていうんだ?


「何も残すつもりは無い」
これは ただの現象だ
炎の後には煙と燃え屑  やがて風に吹かれて散ってゆく
「つもり」という 残りかすも



消えてゆく


雲が明日へ向けて その身を焦がす頃
一体 何へ向けてなのか
ぼくという現象が ここに まだ続いていた 

これは覚めない夢か
誰も来なくなった この部屋に 君がいる
横たわる 残骸の傍に 君がいる


「・・・・・・・・何か 見つかった?」


甘美で深遠なる朦朧が 喋ることを許さない 
呻きを振り絞って
最後まで残った「ぼく」が 君に伝えよう


「かつて君が愛した ぼくは どこにも居ない

          さようならって  言ってたよ」


左腕の縫合痕を 君の薬指がなぞってゆく
左眼の切れ端を 君の小指がつたってゆく
訳も分からず 流れた涙を 君は唇で塞いだ

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残った「ぼく」は 一つ一つ  
失った ぼくを拾い集め
時に新しく造りだし 時にまた放棄した
※年経って  今 
ここで ノートの上で 詩の血になった 
過去と こうして 向き合っている


−了−


   

                                    


自由詩 残照 / ****'98 '01改編 Copyright 小野 一縷 2010-11-14 21:39:39
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