ジョプリン以降
salco

強烈。
ジャニス・ジョプリン体験は中学2年だった。ラジオから“Summertime”。女がこんなにシャウトできるのか、いや男でもこん
なに歌えるか? というそれは驚愕だった。
四畳半の呟きフォークソングが3LDKでパーチーしようのニューミュージックへと転籍しつつあった時代、クラスの男子に『原子心母』
や『クリムゾン・キングの宮殿』を借りては不可解の深淵にのけぞっていた私は、実はアリス(うげげ…)やユーミンが好きだったのだ。
そこで鳥肌を心には留めつつ故人のアクとブーな容姿になびきはせず、年を隔てて不世出の歌唱を繰り返し欲するようになった。


遅まきながら高校1年でビートルズ、即ジョン・レノンに直行した。そこで彼に多大なる転換と影響を及ぼし、保護者さながらいつも寄り
添うヨーコ・オノに興味を持った。
強い毛髪も迫力の、この「ドラゴン・レディ」についてはハプニング活動や個展の数々、『お尻』などの実験映画、名詩集『グレープ・フ
ルーツ』など観念芸術家としての業績よりも、ジョンの音楽活動への参入が許し難い倨傲と見做され、事実バーター扱いを受けて来たのだ
が、いや、この人の音楽性がまた凄いのだ。半年ほど経って、旦那の『IMAGINE』と双を成す仕様の2枚組アルバム『FLY』を輸入
盤屋で偶然見つけホイホイ買って、聴いたその夜はカルチャーショックのあまり頭痛、吐き気、本当に発熱したほどだった。

アヴァンギャルドの名に恥じぬ歌手は、現在に至るもこの人だけだろう。後年の二ナ・ハーゲンなど九官鳥に過ぎない。冒頭のソリッドな
“Midsummer New York”、続く呻きおめきの旅“Mind Train”、“Don′t Worry,Kyoko”の
腸管絶叫延々、メロディーラインも詩も美しいバラード“Mrs.Lennon”からトイレのブリブリまで録音したこのアルバムには、作
曲家としての能力を証明する秀作が幾つも入っている。
いかんせん、昭和ひとケタのヨーコさんはリズム感が日本人離れしておらず、大向こう受けするような「歌唱力」に欠けており、更にはコブ
シ、なかんずく若干の音痴が否めないだけだ。スカースデール育ちでサラ・ローレンス出の才媛も、ネイションとしてのルーツは引っこ抜け
なかったという事らしい。しかし殊にロックという地平では、「歌唱力」など奈落に蹴り落とした方が良いのは言うまでもない。
ユニークで斬新という意味では、唯一無二の偉大なシンガーだと私は位置づけている。


次にはビリー・ホリディが来た。
20代、ある音楽評論家が心酔しており、誰が言ったか、「ビリーの歌を聴くと死にたくなる」との言葉が印象的だったので、“奇妙な果実”
を聴くべくベスト盤を買った。
全然死にたくならなかったが、鼻歌のように流しつつ前頭葉にバズーカして来る、不思議な声の「語り」に酔った。ぐいぐいビリー鷲づかみで、
マッシュト・ポテイトーな人生観一丁できあがりだ。


最近は笠置シヅ子だ。
「カネヨンのおばさん」がかつてブギの女王と呼ばれ、戦後の一時期を風靡したのは存命中から知っていたものの、まさかこれほど凄い人だっ
たとは。
たまに行く図書館のCDコーナーに3枚組のベスト盤があり、気にはなりつつ1年2年と気乗りせず、やっとこの8月に借りて、1曲目の
“ラッパと娘”でぶっ飛んだ。録音は1940年。何とあのご時世にシャウトしている。服部良一洗練のメロディーに乗せて、スピリット
はリズム&ブルース、いや早くもロックンロールだ。ノリノリ。ブギウギ。

空前絶後。
こんな「黒い」歌手は今までこの国に存在したろうか。いまだ久保田だのZEEBRAだの、不出来な猿真似に終始する音楽シーンの(
EXILEはちょっち、おひげの子達がかわゆいから許す)、しかも70年前だ。
声質はエラ・フィッツジェラルドのように愛らしく、より迫力があり、ビリーのようにけだるく、より音域が広い。力みなく伸びやかで、パン
チが効いて表情豊か。自在な歌唱は天賦の才にしっかりと裏打ちされている。音大崩れや民謡出身の歌手ばかりだった時代にこのリズム感、こ
の発声は甚だ異質だ。時代状況を見れば、この人が同世代のエラやビリーに倣った可能性は薄い。この歌唱法にモデルがあるとしたら、音楽事
情に疎い私には、1920年代から30年代にかけてフランスを席巻したジョセフィン・ベーカーぐらいしか思いつかない。それだって、あの
チャーミングなおっぱいとお尻をぷるぷる振りながらシャウトしていたかは分明でないのだ。
幼少期の美空ひばりが笠置シヅ子を真似ていたというのは余りに有名だが、歌い方は模倣できても声質は敵わなかっただろうと想像できる。
頑是ないオジョーは浪花節のような濁声で鼻にかかっており、汚いというか、品がない。それが後年は強みにもなったにせよ。

この稀びとが大衆に飽きられ忘れられてしまったのは、「ブギ」という楽曲の括りで活動場所が固定されていたからだ。ジャズ歌手にしときゃ
違っていたのにと思うが、スロー・テンポの曲では個性が活きず一気に凡庸になる。こうしたブルースやバラードを歌う女性歌手なら戦前から
ゴロゴロしていた。ジャンルと歌い手の腑分けが遥かに厳格だった時代、一度付着したイメージを払拭するのは殆ど不可能だったに違いない。
そして本場の音楽を随意に聴けるようになり、ジャズからポップス、ロカビリー、ロックンロールといった流行の変遷に、「和製ブギ」という
ジャンルが早々に色褪せた熱狂として捨て去られるのも、浮世の定めであったに過ぎない。また事情はわからないが、40代で歌手を廃業して
しまった理由の中には、「東京ブギウギ」の懐メロ歌手に零落してまで口を糊そうとは思わぬプライド、あるいは潔さがあったのかも知れない。

ただ、笑福亭鶴瓶さんにも似た人の善い八の字眉で、「奥さん、カネヨンでっせ」と破顔していたTVコマーシャルのおばさんの偉大が、一向
に顧みられないのは余りに惜しい気がする。笠置シヅ子というインターナショナルな才気に溢れた女性歌手がかつて、ジャニス・ジョプリンよ
り遥か以前に日本にもいたという事を、もっと知って欲しいと思った。



散文(批評随筆小説等) ジョプリン以降 Copyright salco 2010-11-07 00:16:06
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