あの10ユーロ
番田 

1
公営であるタクシー乗り場でボッタクリのタクシーと交渉し、着いたばかりの体はくたくたに疲れ果てていた。何か迷い子のような気のする私には確かな風景などそこには無いように思えた。彼らはフランス語はできないと知ると、バスを降りて小便のような異臭のする高架下を歩き回り、見るからに怪しい連中だった。英語の出来る女性が私に近づいてきて交渉した。

彼はだが本当に気さくだった。褐色の髪の毛が天然パーマだった少年。すると青い制服を着たフロントのおばさんに人種差別のような扱いを受けた。私は駅の切符売り場に並んでいた。目の前で急に体調を崩したと言い出し始めた。私は何としてでもここで切符を絶対に手に入れなければならないと思った。列は長くすでに結構長時間並んでいる。


2
彼らは値段を折らなかったけれど私は近くにあるインターネットで予約していたホテルに行きたかったのだ。トランクにのせた荷物を道路に戻すと、彼らは後ろから私のことをののしった。パリで故障した車輪はプラスチック部分が完全にこすれて本体まで削れさせられていた。しかし彼らは毅然として値段を折らなかった。私はホテルを探してひとり寂しく歩いた。

考えてみれば彼女はオープンカーのチンピラと知り合いである。だけど完全に信頼しきっていたことと疲れによって財布を手渡してしまうという失態まで犯してしまっていた。しかしあの時点で全財産を抜きられていたとしたら。でも彼女も女の子だったからそこから逃げだすと言うことまではしなかった。そこで自分の旅行が終わっていたと思うと今でもゾッとする。


3
彼女は前に立って歩き出した。いきなり目的地まで連れて行ってくれるという親切な人々に思われた。なんとかして予約しているホテルにたどりつきたかった。駅前を通りかかるとなんとなく気の優しそうな女性がいた。声をかけて道を聞くと彼女はついてきてと言う、こういったことはアメリカではよくあった。ついてこいとばかりに手を引いてはいたが。

だがラテンを彷彿とさせたが普段からそういう犯罪の常習犯だったような感じもする。電車は昼の出発で時間は十分ある。だが私は怪しい人間であるのだと気づくべきだったのかもしれない。彼女は女の子だったのだけれど、最後は暗がりに連れ込まれたりして、なんとか近所の安ホテルを探し当てた。朝に手にした牛乳入りコーヒーはほんとにうまい。


4
親切な人は青年であったりした。長身のビジネスマンであったりした。駅員であったりもした。だから彼女もそんな優しい人々のひとりなのかなと思ったのが運の尽きだった。全くといっていいほど頼りにならない警察で暴言をかまし、色々なホテルを渡り歩いてくれたのはよかったが、最後は手数料の10ユーロを財布からシュパッと抜き取られた。



自由詩 あの10ユーロ Copyright 番田  2010-10-31 02:44:55
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