ここにいない
高梁サトル


仄白く霞む渓谷を見下ろす
濡れた衣服をそのままに
身じろぎもせず

洗い流した穢れは
一箇所に辿り着き
昇ってゆく
細やかな雨になって降り注ぎ
大地に蓄積して
芽吹いて実る
雌鳥が啄ばむ一粒の実から
滴り落ちる白濁の果汁
あれは
誰の
早朝さめる
ぬくもり

埃っぽい脇道の
物乞いの傍らに蹲る
二百メートル手前では
勤めを終えた和やかな団欒
安泰を得て着飾り笑う
意図的に見ることをやめた
幸福な食卓を
護る為に繰り返される革命
あれは
誰の
死守すべき
いとなみ

荘厳な寺院や高層ビルに
吸い込まれ吐き出される一群
大げさな建造物にも
大げさな組織にも
没頭している間は
忘れられたのだという
あなたの前に
わたしはいない
わたしの前に
あなたはいない

ここは
雪深い山脈
緑も生えない凍土
滔々と降る沈黙の中で
ひとり
目を閉じている


自由詩 ここにいない Copyright 高梁サトル 2010-10-28 05:18:58
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