泣き腫らした家/泣くまでの経緯
豊島ケイトウ


 「泣き腫らした家」

 その家は号泣する
 時間を失った丘陵にたたずみ
 家主の帰りを待ちわびながら

 その家はときどき夢想する
 彼女が門扉を開き
 飛び石伝いにやって来るさまを

 門前に水を打つ者はおらず
 庭木を剪定する者もいないが
 毎年ツバメが営巣するし
 金木犀から慈悲深い香りを嗅ぐ

 もう三年ほど前になるか
 ランドセルを背負った少年が現れ
 その家の濡れ縁でひっそりと
 泣いたことがあった

 そのときに泣き方を教わり
 実際 泣いてみたのだった
 孤独の少年とともに

 いつか泣き腫らした眼で見た
 ほおずきのような夕日は――
 その家にある一等の財産だ



 「泣くまでの経緯」

 思い返してみれば
 鬱蒼とした祈りの世界から
 ようやく一人で生まれたのだ
 しかしなんだ
 この体たらくときたら
 目も当てられぬ

 あるいは
 教育がいけなかったのか
 孤独のてにをはを知らぬ者が
 胡坐をかいたまま示した
 この国の教育

 昨夜テレビを見ていたら
 しかめっ面の政治評論家が
 実は猛禽類に育てられたのだ
 などと――
 いかにも誇らしそうだった

 一夜漬けで築いた人垣を
 ベルリンの壁とうそぶくところに
 僕はおそるおそるうずくまって
 生まれてはじめて静かに泣いた

 長い長い夜が明けるまで


自由詩 泣き腫らした家/泣くまでの経緯 Copyright 豊島ケイトウ 2010-10-26 12:04:09
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