コメディ / ****'04
小野 一縷

信仰という確信的な迷妄
その心地好い陶酔 自我に奥深く祝福される切ない悦び


エウテルペが宿した 重く病んだ遠い夢 
闇を蓄えた天空から 銀色の稲妻走る脳裏に 
白金の灰が降る それは 文字の微粒子 
軽やかに拡散し 分厚く降り積もる 言葉は白紙上に氷結する


林の闇から闇へ駆け抜ける 光の獣が靡かせる 
眩しい針の鬣 千の針が一斉に 緊迫から解き放たれる時
ペン先が疾走する その乱雑な素早さ 電撃の吹雪


ノトスが 胸一杯の地熱を込めた輝かしい息吹を 
凍てつく氷土を 柔かく 血の暖かさで
波穂のさざめきのように 対流し 
大気を巻き込みながら 熱風は北上する 
全ての大陸は 大きな風の揺らぎの波紋 
風の余韻で 繋がっている


酩酊するオイネウスの体を 苦い蓬の麻薬が 
彼の陶酔を地の底までも重くする
従えていた酔いというニンフ達は溢れ 
皆で 主の身体と心を 思い思いの欲情の溶液に浸した刷毛で 
青々と無言のまま 一斉に 艶やかに 塗り始める


翼に 麻黄の鱗粉をもつイカルスが
太陽は燃え尽きる間近だと
有害な粉を噴く羽音を奏でながら歌う 
その音色は 刺青の要領で 鼓膜を鮮やかに刺し彩る


剃刀のように冷えた切れ味で
遠く射してくる陽光の粒子 エオスの若い目覚めは 
景色の輪郭を 粉々に砕いてゆく


並木道を一陣 切ってゆく木枯しが
暑い季節の残り火の 落葉を炎と巻き上げる


湖面を裂いて銀色の水鳥が一羽 滑るように飛翔を開始する
季節の終りと始まり その飛翔と行き違う 雪雲


アイトーンが 季節風を尾と引いて
ずっと遠く 大きな暗闇の円上を
歌のような歩調で 無言で 主を運んでゆく舞踏


素早いざわめきが 石造りの十字路を抜けて
一つの鐘の 音の奥へと 突き抜けてゆく 
幾千の 響きの矢になって 次々と


鮮血に濡れた肉に餓える 灰黒色の魔犬が一頭 
視界に注ぐ雨粒全てを 眼光の銀で掃射する


暗く透明な水 滴る夜に 耳の深い暗がりにだけ
思い出を周回して 帰ってくる木霊は鳴り響く
それは エコーの口先から零れた 一つの口笛 
懐かしく 色付いた旋律の欠片


紅く錆びた蔓の絡んだ ブランコが
アイオンに艶を奪われたまま 真鍮の振子のように
鈍い輝きを宿して ただ無意味に 揺れている


罌粟の蕾に生えた微細な繊毛は やがて
白霧に弾けて散って この午後を微睡みの靄で包み込む


ダイダロスに置かれたままの 黄鉄鉱の髑髏
その鈍い黄金の沈黙は 二つの深い窪みに眼と輝いて 
中空に記された時の迷路の ずっとずっと奥まで 見抜いている


赤褐色の煉瓦のアーチを取り巻く 葡萄の樹
その実は銀色 水泡のように輝き熟れている
風の無い合間 その房は 停止した寒さに震える
熟れきって落ちるのを 恐れるように 静かに
風の始まりを また 怯えながら 待ち続ける
風はその強さで 時間の流れを表している


痒みを帯びた赤い手 蒼白な肌のアムペロスが
蜃気楼へと溶けて続く道の上で その若さを熟してゆく
彼の苦く顰めた額の汗粒に 透明にきらきらと 
太陽が幾つも 痛いほど照っている
路上 売春婦の吐く紫煙が 彼を青年期へと誘う


若いアレスは 陰鬱な平穏に満ちた 祖国を捨て
火薬庫と呼ばれる国で 志願兵として戦っている
濁った水溜りが 日照りに蒸発する臭い 
彼は今 その臭いを嗅ぎながら 異国の道端に平伏して 
泥水を咽を鳴らして飲んでいる まだ温かいメルネポネの骸の足元で


湿っている 
猛禽類ですら遠ざかる 青い暗さの中に
致死量の毒を孕んだ憂愁が 薄く暗い焔のように 立ち昇る


陽を浴びれないまま ずっと生かされている影の樹は 
その輪郭に冷たく沿って しっとりと湿った腐葉土に 腐れ落ちる
タルタロスへの門が その波紋の広がりに沿って 黒赤色に 口開く


七種類の土気色の病が流れる アケローンが氾濫して
ハデスが眠る石棺の 苔むして濡れ滑る石蓋を押し流す
暗く重い澱み 厳かな暗黒色を湛えている闇の底に
化学汚染された 汚泥が蜜の緩やかさで 甘く流れ込む


夏の夜 黒い星屑が 無音で降りしきる 
静寂の生まれいずる暗天の奥に 蒼く輝く 冥王の星は凶徴


下草の更に下に隠れた芋虫を 何匹も踏み潰して進む
蒲の穂の綿毛が耳に入らぬように 両耳を塞いだ
遠く呼んでいる 老いたサテュロスの 声は届かない


朽ち果てた馬車が 枯草に覆われて 灰色に眠っている 
さらさらと 小道をゆく風は 黄金の秋を告げる
淡く薄い陽光が 麦の穂を撫でて


子供達が玩具の鉄砲で殺し合っている
嬉しそうに 息を切らして 撃っては殺し
撃たれては死に 死んでは蘇り また撃っては殺す
金色の草原を往来する 狂笑


骨が石のように白く 突き出た急な坂道を
息を切らせて 逃げるアフロディテ 
香油に塗れた少年兵達が 銃剣で襲いかかる
足元に 彼らの 父母の骨片が 散らかっている
彼らは皆 クレイオの流す涙を好んで飲む 
そして夢見心地のまま 艶やかな肉体を躍らせて
女神を狩る それが何よりの娯楽


歴史図には 放浪するキリクスの血縁が 
芝の根のように びっしりと張り巡らされている
それを知っている旅人は皆 悠久の旅路を 
希望と知性から授かった 寡黙な眼差しで
目蓋へと転写してゆく


二本の古木からなる門に 黄金の蛇が
呪詛が運命を縛る模様で絡まっている
復讐を成し遂げたアキレウスが 
紺碧の草原の終り 古木の大門から踊り出る
そして ずっと独り ずっと遠く走って 
迸る血潮 血眼になって貪る速さに連れて
身体中に 満たされてゆく 欲情を鼓舞する 
澄んだ暗い池のほとりで 足の腱が疼きだす頃


曇天の刻は 光の中に微か 静かに滅んでゆく
厳かな滅びの渦に呑まれて 見知らぬ妹が溺死する
手も伸ばさず 声も出さず 目蓋を黒く綴じて 無言で


不老不死の獣を 永久の猟人が 一撃ずつ追い詰める
発射の衝撃後に 
撃鉄から紫に素早く昇る 銃口から白くゆっくり昇る
冷たい羊歯の上に 重油のような血が 熱く零れる
二筋の捻れた煙を解きに 血の黒い匂いが 温い風に乗ってくる


清らかな白い石が 柔らかく黒い泥の中に
幾つも 静かに 眠っている 


暗闇を漕いでゆくバイオスの小船は 
銀の梢から零れる 不吉な徴の光を六つ 
行きつ 戻りつ 一つずつ 運んでゆく


遥かな透明の奥 遠い湖底に静かに
青銅のアルテミスが 常しえに隠されている
彼女の胎児は 冷たく暗い羊水に浸かったまま 
誕生の夢を 醒めたまま 見続けている 
男と女 性の隔たりの狭間に置かれた天秤
永遠に均等な その揺らぎに乗って


昏睡に陥ったナルシスが見る 酷い酔いの夢
燃え上がる炎 垂れ落ちる血 誇り高く輝く艶
美の原色を 赤く深く 爛々と 照らし出す


神々の墓碑に刻まれた 聖印が沈黙している
忘れ去られた その静かな輝きは
神でありながら死した 悲しみの重さ


魔物を象った噴水 
口から流れ出る水飛沫 薄っすらと現われる虹の道が 
空へと伸びてゆく 遥かカイルスへと その道は続いている


終わりのない戦 不安と怖れ 絶望
悲運の兆し 絶対の命令が 蒼黒い鳥の姿を借りて 
司令塔から 飛び立つ 
すると その不吉な羽ばたきは 暗い竜巻になって 
野戦病院のテントを 軽々しく吹き飛ばす
腕や脚を失った 負傷兵達が 
赤黒く湿ったぼろ布に まみれて呻いている
「あの虫の群の中に お前の大切な人がいる」と 
アトロポスが囁く


爆撃機が遥かな高度からトロイアの大地へ 
ナパームの雨を降り注ぐ
烈走する炎の素早さに デュオニュソスの弟子は想い焦がれ
熱を上げて身悶える
神の系譜ですら燃やす 狂信という烈火


忘れてしまった詩句を 諦め切れないパンが
若くして死んだ詩人の墓を 探し出しては 暴いている
彼の暗い直感はいつも的中する
「どの詩もくだらない」


エーテルに酔ったまま 岸に打ち揚げられた人魚が
緑色に腐り始めている
霧散する 何度も霧と消える 波飛沫の音を追って
波打ち際を 痩せたアエロが ひたひたと駆けてくる
人魚の亡骸に気付いて 黒い猟犬はおどおどと しかし 厳しく吠え
やがて その亡骸に喰らいつき 激しく貪る
残された黒髪の艶は その美しさを波間に掲げて
沖へ流れ 揺れ 色濃くなり 沈んでゆく


永遠に海流として流れる 物悲しい祈りの歌を聴いて
打ち震え 身投げした美しいセイレンの 
溺死体を片付ける せむしの男が
粘っこい痰を 七色に輝く貝殻の上に吐く 


浜辺 義姉さん達は皆 海を愛していた
海に包み抱かれて 死ぬんだ 死ぬんだ


回教徒達が 悔いを改める為
小船から次々と 鉛色に輝く海面へと 身を投げる
卑しい希望を孕んだ 彼等の信心に 海を汚された
ポセイドンは怒り狂い 黒い渦で 
彼等の小船を 深い暗黒へと 突き落とす


ポントスに守られる 白から紫へと
変色する宝貝は 知っている
海神の貪欲な慈愛の罪深さを じっと静かに 
深く小さく 殻の奥底に 
その秘密を飲み込んだまま 少しずつ
海の史実を生育する 真珠のように


彼の地の上空を飛ぶ 哨戒機の翼の輝きに 
冬鳥は心地好く凍え 極寒の北東へと 想いを馳せる


森がマッチの火のように ぽつりと闇に燃えている
獣たちの死体から上がる熱気と煤で 月光が滲む


剥き出しにされた雷管の生々しさに ハルピュイア達は脅え 
冷たく暗い悪夢に 苦い汗をかいて 目覚める 
予言通り 人間が機械に狩られる刻


アレスは とうとう戦地から 還ってこなかった
神であれ 時代の流れという速射砲から 逃れられはしない


神の葬列を纏う大気の重みは 雨雲となり雷鳴を轟かせる


暦にはない 狂った日蝕の色合い 白と黒の捻れる舞踏


呪われたアバドンが運んでくる 痛みの光を放つ輝石
細胞を黒ずませ 若者には早く 老人には遅く
死をもたらす 蒼い石


融ける 仮面 眩しい霧の中 晒される 
素顔が 焼ける 輪郭を焼き散らす 光


生まれ 薄い目蓋に味わった 光の切れ味
まだ濡れたままの耳に味わった くぐもった妙なる音
原初の発声 雲から溢れ 降り注ぐ
温かい恵みとなって
神の産声が 黄金に 降り注ぐ
太陽には いつも 父と母が溶け合っている
その勇気と慈愛 陽光が ここに 注いでいる
熱は言葉を持たない しかし優しく 厳しく
ここに 注いでくる


全ての人の 全ての思いは 円環 
彼方へと進んで やがて還ってくる
未来は 還ってくる ここへ
月を囲う永遠の宝冠が 
あまねく信仰と 神々の歩みと伴に 
還ってくる


今 無限の円を 雷撃の粒子 
瞬光が ここに 光の環として 
弛まず 連なり 永久に 結んでゆく


ポリュヒュムニアは歌い エラトは語る 
メルネポネは見つめている タレイアの後で 
テルプシコラの踊り カリオペは綴る
それらを クレイオが楽譜にする
そして繰り返す

一身に 破壊の光を浴びて まるで
帆にアイオロスを宿した 帆船のように勇猛に 
焼かれながら 崩れながら 進んでゆく 
大いなる輝石に照らされた この言葉で
水平線を越える


生命機能を 精神構造を 意図的に操作する
創造を活性させる ここには
確かに ムーサ達の恩恵がある
これら詩片の幾つかは それを闇に明かす 
曙の譜面 燃える証書 

光の歌に照らされて 浮き上がる 
真黒の文字の純潔を 絶対語感に解釈された
語群は高純度で 詩として結晶する 


幾つかの思考を麻痺 中毒させ 開いた瞳孔から
また別の幾つかの 思考を裂いて砕いた痕から
染み出してくる 微かな未来への標 
その抽象画を 文字で描く 
歪に構築された 言葉を 流し込み 
大量に 溢れるほど 変成してゆく
すると詩を成す 詩句の地層が
まるで狂気じみた瑪瑙の模様を呈する


たとえ このオイディプスの子孫が 
エウテルペの末裔であっても
この課せられた運命は 余りに軽薄だ
この精神の飛翔にとっては 軽すぎる重石の刑だ
この揚力には 因果の糸すら
煙のように 解れて切れる

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何日も 何月も 何年も
食事を摂らず 眠らず 黒々と醒めた眼で 
神話へ夢中で 落書をし続けた 彼は
罰として 二つの言葉を 永遠に失った 

「ありがとう」と「さようなら」







自由詩 コメディ / ****'04 Copyright 小野 一縷 2010-10-23 00:13:01
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