戦争
佐倉 潮

 
 
 文明の熱狂の皮の下で、いつでも戦争がにたりと舌
を出して笑っている。

       *

 たまの休みになると田畠さんは町を散歩するのが常
だ。そうしていつからか彼のお供をするのを習慣とし
てしまった、僕にとっても。

 千年ほど昔の世に碁盤の目のかたちと組まれた道を、
二人でずんずん歩く。おかげで僕は高倉通りだとか蛸
薬師といった京の狭苦しい町並みにだいぶ詳しくなっ
た。でも、田畠さんはそういう方面にかけてはまるで
トンチンカンな人だから、僕がいなくてはきっといつ
までも千年前の人間と同じ調子で、碁盤の目の中を徘
徊しているだろう。

       *

「あぁ完全拡散面だ」

 その時、田畠さんは初夏の空を見上げそう呟いた。
僕には『カンゼンカクサンメン』の意味が何だかまる
で分からない。分からなくっても一向平気でいる。
「田畠さん、おなかが空きましたね」そう言って、う
どん屋にでも連れ込んだらしまいになる話だから。
 だけど、とりあえずサングラスの隙間から上目使い
でチラと空を見上げた。なんのことはない。頭の上で
は全くの青が周囲の山々をまたいでいる。

 田畠さんは今度は視線を地面に落とし僕に言った。
「ねえ。このコンクリートの道も、人間が作った」
 あまりにも当たり前なことなので、返す言葉も見つ
からずいたら次は「あの京都タワーも人間が作った」
と南の方を指差して言った。それから路上に駐車して
あるフォルクスワーゲンのボンネットを手の甲でコツ
ンと叩いて言った。「この車の部品一つ一つは、人間
が作った」
 それから
「あの瓦屋根も人間が作った」
「ほら、その4つ穴のポストも人間が作った」
「僕等の穿いている靴も、来ている服も全部を人間が
作った」
「この空の青すら人間が作った」
「それは実に 」
 いつになく饒舌だった田畠さんは、そこで言葉を詰
まらせた。僕は「実に」の後があるのだろうと大人し
く待っていた。けれど、ただの空白。

       *

 僕らが再びとぼとぼと歩き出したところで田畠さん
は一言、「戦争」
と低く口にしていた。

 それはまるで焼け払われた荒地を眺める人の言葉に
似た響きをしていた。戦争。僕がサングラスを外し見
上げた空の底には、先ほどの空白の時間が置き去りに
されていた。もう戻ってはこない時代の。






自由詩 戦争 Copyright 佐倉 潮 2010-10-12 00:23:11
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