骨音 他二篇
豊島ケイトウ

 「骨音」

 その森の中のまぶたは
 たいへんうつくしい

 背骨を失った世界よりずっと

 まぶたに広がる昼下がり
 湖のほとりで
 老人は 骨を拾う

 露の輝く草を分け
 降りそそぐ木漏れ日を浴び
 無言の言葉をつぶやきながら

  ただ

 骨を拾うたびごとに
 鳴る音は
 新しいまぶたを呼び覚ます

 老人の手のひらで一つ一つ

 ひんやりとやさしい土の下
 そこに息づくちいさな祈りは
 失われた背骨のことを
 知らないまま ただ

  た だ

 その森の中のまぶたは
 もうすぐ夢を見る
 うつくしいまぼろしの音たち



 「梅の地紋入りカワウソ」

 ほとんど水切りのみで
 一日ほどけますから
 川は適宜です、快調です

 黎明から夕暮れにかけて
 南極を除く世界全域の水辺で
 カワウソが犬死にだとか
 水かきと
 小臼歯とを反論させ、
 温かにほほえむ窓明かりを
 見上げたままだったとか

 詮無いものですものの有終は

 これではあんまりですから
 いっそ川のほとりで
 啓蟄に向けてふるえますか

 ただ、わたしのことです
 春を待たぬまま
 やがてゼンマイ仕掛けに
 収斂するでしょう、かすかな
 はるかな南風の基軸によって

 そうしたら儲けもの
 梅の地紋入りカワウソでも
 まのあたりにするのでしょう



 「あるノートのこと」

 ぼくは幼い時分に
 ひんやりした川辺で
 一冊のノートを拾った

 その一ページ一ページに
 ぼくはボクの過去をうがった
 ぼくはボクの未来を当てた

 (ときおり目をそむけつつ)

 そこでファンタジーを描き
 たしかな純粋がうずくまり
 多分のうつくしさと
 多少のみにくさは争い合う
 激しくあるいは空しく
 質実にあるいは虚飾的に

 だから親にも友だちにも
 内緒のままだった

 他者から見れば
 全くの空白にすぎないものの
 しかしぼくの持ちうる全てが
 (本当に全てが)
 太古から行く末まで
 あるいは萌芽から枯死まで
 しっかりとつづられていた

 おとなに落ちる手前
 とうとつに気味が悪くなり
 捨ててしまったのだったが


自由詩 骨音 他二篇 Copyright 豊島ケイトウ 2010-10-10 17:59:34
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