椅子が記号になるために
乾 加津也
わたしの名は「誠実」、からむ蔦、めしべの棺、花をちらす雨季の停滞、主宰者のひたいにこぼれるしるしのようだった、執事のトルソ、息は茜色をして、椅子にちかづく、わたしの名は「誠実」
椅子をつくる、つとめが、それ
らしい、白樫の綿埃を吹くはじめ、雨にさらされた、濡れしみの、粗末な一人掛け、もしわたしがわたし以外のことにかまけていればこれから先も気づくことのないほどの、それはどうでもいいもの、の、わたしだけの
そっと背もたれに耳をあてる、未完の五線にぽつりぽつりと音符はしなだれていた、乾いているようだった、リサイタルの調弦に、こまくが共鳴する、楽器だった、木のうえからすずなりのすずめ
おおらかなしくみ、新緑に、またいで
すわる、わたしは井戸の深淵、喉ぼとけからするすると汲みあげる水脈、すみれの根先によりそいのびひろがる、冷たさの気配、季節風がくると、嵐の海溝、ゆきばをうしなう低気圧の狂乱が雷(いかずち)をよびさまし、おろす手桶は華奢でちいさく、こきざみにおびえるから、雲間の陽光であたためて、罅(ひび)にはヤニの軟膏を
擬似を、だく
葬りかたは、しらず
わたつみのみぎわ、ずぶずぶしずむ椅子の脚先、とおく、あかく、目をはらす、防波堤にたたきつけ、られる鴉を、吐きだせない、死がみちる玩具など、ない、背負えない、わたしのさしのばす指先からうずまき巣食う壊死は、いつわり
樹海、じかんがおしひきする波状のあたり、膝をかかえた精子は、林檎の皮むきのようにくるくると下にむかって、わたしの骨格、わたしの歩幅、そそりたつ発情、放佚、くしゃみ、舌の大仰、あやまちの打ちのめされ様、わたしのゆくえ、を、古生の根株から、いずれ戻りくる、まで、で、瘤の一巡
椅子に、ふみこみ、わたしはやすむ
みかくさえ、鼈甲にひろげ、乾(ほ)す
できるだけあかるい色をつけたいのです、年代もので、つやや手垢もまぜこんだあざなどもつくってやりたいのです、わたしが死んでも彼は死なない、彼は椅子です、どこかの波打ち際でくたびれた彼をひろう顔のないだれか、それまで彼のこころゆくまま、洗われていられるように
いつかも、座面に届く、わたしにだけよめる一通の便箋、よまないのはよめない覚悟ができているから、宛も差出もなければそれは、わたしと椅子の「はじめ」への招待、椅子に立ち、わたしは天に、「ん」、を仰いで、ふたつの眼(まなこ)を空にすわせる、儀式のあとは、失われている、みどりの透きまにはためくレター
すでにわたしは、椅子の葉肥
もはや、名でよぶ理由もなくし
ふたりでひとつの、途を、しめせる
わたしは外海で目をこらした、鉄の椅子に座し、不屈のようだった、わたしたちは慎重にめぐり、互いの海を回遊する魚群にまぎれ、こえをあらげ、なげあう虹の降順をくらべ、せまる鱗の神々しさにたちすくむ
わたしにつながるものたちよ!
わたしの臍に、手をつきいれよ!
みぶるいのまま、あいの交感
わたしが、あゆみゆかない年号ごと濡れそぼるため、わたしの椅子にひとり
首の燔祭を、くいいる一匹の蛾とともに、こいねがう、ため
それから、は
椅子はわたしの、やはらかい、きざはしに、なろうと
わたしの腎(むらと)に、わけいり
わたしたちはもはや
主(あるじ)に背をむけた
殊勝な執事の、やかたのように
だから
宵やみよ、こい
椅子のかかとをまさぐり、さびた錠前のようにつるしあげよ
背もたれの延長につむがれた、月光はわらえ
藻屑から吐きおちてくる、どうしようもないものら、すべてを
か ざ せ ! ( うわずみによつん這う、ゆらぎの / 記号 )
か ざ せ !
茜の、寡黙
鴉の、くうを撃ちはばたくひとつ
めしべの、序列をうけいれた
りりしい、子宮(はら)とのわかれの、うた
あまさず
そして
わたしのまがうことなき
還流 ( なみだの凱旋 ) も
一滴たりとも
◇ ◇ ◇
魂と口がしぼむわたしの幕引き、わたしの名は「誠実」、わたしはみずから、視座を、執事のトルソのように、くべる、かいな、こんなにも、未来だったよアリガトウ、ゆうべ、嘔吐し、はまべ、どこでもない、白樫は炎、炎は煙、煙は灰、灰は雨となり、かなたのチェアを、ひとしれず、ぬらす、ぬらせ、ば、邂逅はやみ、わたしの蔦、喉にとおして、あいもまるく、またたけ、星、あり、けれ
いくつも
さらにいくつをも
いかして
わたしの名は