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 さて女王だが、日夜の狂態に目は隈取られ歌い皺が眉間と頬に刻まれ、
幾度と香油をすり込んでも肌から瑞々しさが逃げ、豚のように食べてもや
つれふかのように飲んでも渇き、おまけに腹ぼて・腰痛の大儀な体で終日ご
ろごろしていては、さすがの容色にも翳りが出て来た。
 それは最も誠実な注進役を身辺から失ったせいもあったろう。初産は体
内の毒素を一緒に排出するので女に磨きがかかると、いつか誰かに言い含
められた一念で不如意に耐えている女王が妙な気を起こさぬよう、鏡とい
う鏡は外され、手鏡も侍女頭が隠してしまい、居城の窓には丹念にやすり
がかけられ、銀器も総て陶器に差替えられていた。

 限られた手管で妊婦に奉仕する日夜に疲弊した愛人達も、この頃は窓覆
いと燭の落とされた閨房でおのれをくわえ込んで蠢いている器官が底知れ
ぬ洞であるかのような怯えを覚え、腹にまたがり呻吟している幽鬼に貪り
食われる錯覚に鳥肌の立つ思いをすることがあった。
「昨晩、私には女王の額の真中に青黒い血脈が浮き出ておるよう拝察され
たのだが、もしやお患いではあらせられぬかと。侍従長に申し置いたが」

「はて私には、眼窩が窪まれすっかり面変りされたように見えたのです。
もしやその、悪霊ではないかと。案じるあまり神官長に言づてましたよ」

「いや実は、俺は萎えてしまったのだ。ついぞ今迄こんなていたらくはな
かったものを。ところがだ、外れたのをお気づきにならず動かれていた」

 回廊の蔭や園庭の暗がり、酒場の片隅で声を潜めた打明け話が交され
た。さすがの好き者達も、苦役となっては勤めを逃れる口実を探すように
なり出したらしい。
 

 腹ばかり膨れた餓鬼さながら、両脇を支えられて湯を遣うのもままなら
なくなり、近頃は垢じみた体を横たえて拭くに任せている女王がこのまま
衰え、国も滅んでしまうのではと大臣達がうろたえ出した頃、均衡の水が
破れて快楽の口を流れ下り、神罰の如き激甚の痛みが胎に轟いて、ようや
く女王は少しく月足らずの子を産んだ。まじないばばあは役目を終え、産
声だけを背に負うて西の山へ帰って行った。
 と言うのは死産児でない場合、その臍帯と胞衣さえもが国家経済とばば
あの蓄財には乗らず、無事の誕生を感謝し健やかな成育を祈念する為に神
々へ捧げられることになっている。つまり呪術師とは別の、ある種の権威
をまとう祭司が与る神殿で、石彫の祭壇に上げられ高坏で煙となって神々
の口に入るというわけだった。


「お健やかな王子様のご誕生にござります。誠にお目出とうござります」
 両膝の間で老いぼれの侍医長が言い、すると殺される猫のようなかかめ
きが起った。
 王子とな?
 眼前に突き出された新生児はやはり紫色の奇怪な猿じみて、黄泉へ流れ
た出来損ないどもと大差がない。それが娘ですらない。おお何と、何と醜
い徒労であろう。
「下げるがよい」

 それが城の東翼で待機する乳母の元へそそくさと運び出された後のこと
だ。男を沁み渡らせた時の官能とは対極の、享楽の代価としては余りに不
当な勘定に二夜を踏み裂かれ、ぺしゃんこになって横たわりながら、女王
は不思議な感覚の出所を探っていた。
 あの嘆かわしい余計者を、それでもともかく自分の胎は初めて完成させ
たのだ。落胆の底で覚えた確かな充足は、生まれた時から双肩に負わされ
て来た責務を今ひとまずは果たし得たことへの安堵であり、頭上の暗雲が
吹き払われ晴れ間を望むかのようなすがやかさがあった。するとつい先日
まで吹き荒れていた肉欲が、まるで幻のように体内から一掃されているこ
とにふと気がついた。この不可思議な平らかさは一体何であろう。
 それにしても次代の君主の寓居となって腹を占拠され、薄鈍うすのろのように苛
まれていた十月の間が女児であれば、一度で済んだものを。    
「左大臣をこれへ」

 あの占者。姫君を授かるとのたもうた彼奴にはどんな褒美をくれてやろ
う。おのれの陽物を切り取らせて虚言の口に食わせようか。あの浅ましい
布袋腹をかっさばいて産の苦しみを教えてやろうか。ああ忌々しい、さて
も神をかたって国王を欺いた大逆にはどんな趣向が相応しかろう。
 いや、今は考えまい、体じゅうが痛うて怒りまでは持てぬ。余が欲する
のは、今、欲しておるのは。はて。
「大頭とか言うた、あれを捕らえよ」

 見れば腹に描いた模様は蛇腹に折り畳まれて萎み、貪婪の口もすっかり
弛緩して今や別物の、死獣の乾いた皮革のようだ。女王はいっそ声高に笑
いたかった。左様、余は円かじゃ。余は足りておるぞよ。ああ、
「桃じゃ」

 はい只今、という声より素早く侍女の裳裾が床を滑る。こま鼠より俊敏
な内務大臣を次の間で追い抜いたほど、空腹が短気に加味する辛辣を桃の
味より知り抜いていた。

                              つづく


散文(批評随筆小説等) Queeeen Copyright salco 2010-10-05 01:13:58
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