名探偵A
番田 

血まみれになったものが部屋の隅に、黒く転がっていた。これは他殺による死体なのだが、案の定、私がここに呼ばれている以上は誰が殺したのかはわからないものだった。殺人事件である。彼の家族たちはかわいそうに、その哀れな姿を見て恐れおののき、今は警察からの尋問に疲れて、近くのホテルに身を隠すようにして住んでいる。


そしてしばらく、それを見ていた私はふと床に目を落とした。一体、これは何なのだろうと思う。そこには、赤い、死体についていた血とは別に、青いインクが絨毯の上に散らばっていた。妙に人の形をしているものもあるし、何か、文字のような形をしているものもそこにはある。私はその形を写真に納めて、手帳にその形の輪郭を克明にスケッチした。スケッチし終わると、がやがやと警察が中に押し入ってきて、長年の知り合いの、銭形刑事が出てきて私に向かってこう言った。
「Aさん、捜査の邪魔ですから、ここは我々に任せて、このコーヒーでも飲んでいて下さい」
というようなことを言って、部下から受け取ったポッカの缶コーヒーを1つ、私に向けて渡そうとする。すると顔見知りだった部下は、銭形の横からにょきっと顔を出した。
「彼の奥さんからの差し入れです。いつも彼が、常々飲んでいたもののようですが。」
という説明をウインクしながらすばやく付け加えてくれた。


私はプシュっと少々苦めの味である、それを開けた。銭形とは長い付き合いだったが、彼が解決した事件はひどく少ない。しかも最近は裁判によって、警察側の不正で、部下の一人が刑務所送りになっている。例の巷で話題になった、フロッピー改ざん事件のことだ。コーヒーを飲み終えた私はそこで、銭形たちに小さくお礼を言うと、携帯電話で、ホテルにいる被害者である彼の妻に現場検証が終わったことを告げ、ぼんやりと現場を出た私は、事務所に向かって乗ってきた車で道を戻って、その床に着いていた染みの意味についてのことをソファーでぼんやり考えた。


奥さんはお人好しすぎるほどにとても人当たりが良く、夫である彼と仲が悪かったといった話もまったく聞かなかった。そして、その部屋の中に残されたものは、特に目につくようなものといえば彼の死体と、青いインクの染みだけなのである。しかしべちゃっと、唐突に何かによってぶちまけられたようにしてそれは、そこにあった。不用意にこぼされたものではないな、と私は思っていた。私は手帳を取り出して、スケッチしておいたそのいびつな形をぼんやりと眺めた。最近雇った、新人である、助手のピノコがばたばたと現像してきたばかりの写真を持ってきたので、それとスケッチをじっくりとつけ合わせる。


それはただのインクの染みにしては、とても不思議な染みだった。犬のような形をしているものもあるし、なんとなくペンギンや、キリンのように見えてくるものまである。文字のようなものは、なんとなくじっと見ていると文字ではあるが、単語、というところまでは読み取れなかった。


私は少しタバコを吹かしてその余韻に微笑むと、コーヒーを入れに、なんとなくキッチンに向かった。タバコは、マイルドセブンが今まで吸った中で、私は一番気に入っている。タールの量もちょうどいいし、倉庫に貯蔵しているキリマンジャロコーヒーの豆との相性も抜群である。


私はコーヒーを飲みながらそこでぼんやりすると、タバコの煙の中に、なんとなくじわっと犯人の面影がぼんやりと思い浮かんできた。煙の形は、昔父が作っていたような、円いドーナツ型をしていたり、それが曖昧になって少し壊れていたりした。私はその形を見つめながら、銭形とのこれまでのいさかいごとをなんとなく思いめぐらせたりもした。そういえば彼の部下の一人は私と親しくしていた若い女性だったが、今は刑務所にいる。あのフロッピーの事件のことで、多分銭形の罪をかぶったのである。


そんなふうにして、私は毒物による犯行をなんとなくテーブルで予想した。死体が血まみれになっていた理由として、コーヒーと毒物を同時に服用すると、服用者はそこで大量に吐血するケースがあると、今朝の新聞のコラムには小さく書いてあったからだ。そうしてしばらくして、私は例のごとくポン、と膝をたたいた。ああ…、わかった。そう、犯人とは他の、彼に関係する誰かしらのことでもなく、まさに彼の子供のことだったのである。恐らく、事情聴取によると彼の妻と彼の仲は普段特別悪かったというわけでもなかった、ということだったが、母親のことを慕っている彼らの子供が、ある休日の日、彼の部屋に入り、インクでなんとなく適当ないたずら書きをしたのだろう。それに怒った彼は、呼び出した彼らの母親を、子供の教育がなっていないと、怒鳴りつけて殴るか、ひっぱたくかひどい言葉でも言うか何かしたのだろう。それに怒った彼らの子供は、母親がインクを消すために使った何らかの劇薬を使い、彼の日々飲んでいるあの、ポッカの缶コーヒーの中に少量、混ぜて渡した…。という私の推理の流れである。


私は恐らく、現場のゴミ箱に残されているであろうポッカの缶コーヒーを、捨てないでおくようにと、現場の銭形の所に電話した。この、私の推理が確かならば、缶蓋部分に小さな穴でもきっと、開いているはずである。そして最後に、事件はすでに私の頭の中で片付いたことをなんとなく知らせると、それを聞いた銭形は、何か、私に対して相当くやしかったらしく、
「嘘つけ!」
と怒鳴って、激しい音を立てて、何か壁のようなものを殴りつけると、すぐにブチっと電話を切った。


散文(批評随筆小説等) 名探偵A Copyright 番田  2010-09-28 03:47:28
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