人々の日
山中 烏流
ひとは
寂しいふりと、狂ったふりが上手です
全員ではないけれど
大半は、そんな気がします
彼女は論文を書きます
自分が、自分に出した課題で
原稿用紙を何枚も埋めることが出来ます
例えば
秋刀魚の綺麗な食べ方に関する認識の相違
例えば
団地に囲まれた公園での、何とやら
例えば
明日と翌日と次の日の違い
お前は嘘つきだな、と言われます
その通りです
肯定も嘘になることを見越して話すのは
何よりも疲れます
昔のことは、いつも美しく思えてしまうので
一回
全て忘れることにします
そうすると
今度は忘れる、という行為自体を
美しく思えてしまうので
そんなひとが増えた近頃は
みんな、薄皮を顔に貼って歩いています
お互いに剥がしあいながら会話をして
次の日には、また綺麗な皮を貼り付けています
痛そうですね、と言えば
お互い様ね、と返されるので
わたしには
何も言う権利がありません
誰にも
そんな権利はありません
どこかのだれかが
「ひとは最初から死ぬために生まれてくる」
と言って
少し大きめの団地から、飛び降りました
野次馬とお茶の間を、ほんの少し喜ばせることが
そのひとの望みだったようです
そして
望みは叶ったようです
近くに住む、顔見知りのお婆さんから
銀杏を貰います
調理法を知らないし
何より、わたしは銀杏が苦手だけれど貰います
台所に放置したので
一週間後が楽しみです