カナリヤ
ホロウ・シカエルボク






脳漿の絨毯の上を
俺は歩いていた
それが誰のものなのか
なるべく考えないようにした
靴の底の感触は
あまりなかった
ただ
ときどき
ところどころ凝固したジャムのようなものが
ぞくぞくと心底の
震えを呼び起こした
その道がいつ終わるのか
俺には分からなかった
だが
しかし
先に歩かなければ
ずっと脳漿の上に
立ちつくしていなくてはならないのだ
臭いはなかった
なにも―不思議なことに
なにも臭いはなかった
けれど
偽物だと安堵するには
鮮やか過ぎる光景で…


遮光越しに見るような太陽が
そっけない光を注いでいた
あたりに
建造物のようなものはまるでなく
自然的なものもまるで見当たらなかった
人も
動物も
おらず
一面にぶちまけられた脳漿と
俺だけがそこにあった
俺は歩いた
足元でどんな音がしてるかなんて
絶対に気にしないようにした
だけど
もうどこか
麻痺してるみたいな有様だった
怯えは過ぎたのだ
肉体の疲れと
精神の疲れが
俺の意識を
どこか他のところへ追いやっていた
だから俺は
歩いているしかなかった
どうにかしてどこかへ行かなければ
この麻痺はきっと終わることはないだろうから


あたりの温度は少し
涼しいと言っていいくらいで
もしかしたらそれは
内臓の温度なのかもしれなかった
汗は滲んでいたけど
不快なほどではなかった
どちらに向かって歩いているのかも分からなかった
どこに向かえばなにに出会えるのか
まるで
分からなかった
視界の果ては
適当なグラデーションで
塗り潰されていた
俺は脳漿を踏み続けた
ジーンズの裾は少し濡れていた
それが足をひどく重たくさせた
これは夢なのか
俺は
眠りの中で踊らされているのか
答えは思いつかなかった
ただ
ある意味で
そこは
すべての現実から隔離されていた
隔離
隔離
現実
俺の脳味噌がこれまでに吸い込んできた様々なものは
ここでは
なんの役にも立ちはしないのだ


太陽は高さを変えなかった
もとより
たいして必要な太陽ではなかったから
それも
当然なのかもしれない
そんな太陽がそこにあることを
俺は心から不思議だと思った
そんな太陽がそこにあることを
そんな
太陽がそこにあることを
役割
あらゆるものが
なんらかの役割を持って
そこに
存在しているはずだった
だけど
その意味は
聞こえなかった
どこからも
どこからも
なにかが眼前を横切ったけれど
眼球に張り付いた汚れなのかもしれない


足元の脳漿が
少し
深くなった気がした
そんなことは
これまでに何度もあった気がした
ときにはそれは重油のようなものだったり
あるいは泥のようなものだったりした
(ああこれはやがて海になり、俺はそれにより激しく窒息するのだ、そんな景色は何度もあった、そんな景色はこれまでに何度も眺めてきた)

俺は思った
色や感触を変え
何度もやってくる感覚なのだ
俺は走った
足元の
脳漿を
高く跳ねあげながら
その飛沫が身体のあちこちに
嫌なしみを作ったけれど
もうそんなことは
構ってはいられなかった
俺は想像したのだ
脳漿の海に溺れ
身体中のあらゆる隙間に
脳漿を詰め込んで窒息する自分のことを
そんなことはごめんだった
そんなことには
絶対に関わりたくなかった
どこだろう

俺は思った
この世界はどこで動いているんだろうと
脳漿の飛沫が跳ね上がる
くちびるの端についたそれは
なぜか少し甘い味がした
終わらない
俺は
路の終わりを見つけられない
高く舞い上がっていた飛沫は
やがて
赤い巨大な
波に変わり…


…俺は生温いアイスパックの中で
あらゆる
動きを
奪われ



それぞれに
ぼやけた
白と
赤と……










自由詩 カナリヤ Copyright ホロウ・シカエルボク 2010-09-22 22:29:52
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