誕生
豊島ケイトウ

 メモを取る行為こそ自己採掘につながると妄信する彼女は、だから電話の最中や手持ちぶさたのときなどに思いついた言葉をすべてメモせずにはいられなかった。そして眠る前に、その日のメモ用紙を一通り眺め、自分の思考に対する意見を、また、別のメモ用紙にメモするのである。その習慣は学生のころから二十三年間、一日も怠ったことがない。
 ある日の夜、彼女はいつものようにメモ用紙を並べて、今日いちにち自分がどのようなメモを取ったかチェックしていると、青天の霹靂にみまわれた。彼女は額を打ち、メモをまじまじと見つめる。すると、そこに書かれているちぐはぐな思考の羅列が、まるで数珠つなぎになっているように脳裏になだれ込んでくるのである。そうしてさらに見つめていると、そのつながりは遺伝子の系列に似ているようにも思えてきた。彼女は一つのメモともう一つのメモをつなぎ合わせ、そこから連想される新たなメモを生み出した。
 その作業は翌日も翌々日も行われた。会社から電話が鳴りっぱなしだったが意に介さなかった。彼女は泣きながらつぎつぎに生まれてくる言葉をメモ用紙に書きとめていった。言葉は、まさしく遺伝情報を伝える物質である、DNAそのものの役割を果たした。これは私の歴史をダビングしているのだわ、と彼女は思った。メモをすればするほど、自分のしている行為が崇高なものに思え、また、そこからなにかが誕生するのではないかと、つまり生命の誕生を予期するようになった。
 彼女は不妊症であった。子宮が着床しにくい状態にあると数年前、医師に告げられた。それが原因で夫とは別れた。彼女はなにより子供が好きで、今でも出産するところや赤ん坊に乳を与えているところの夢想をする。諦めきれないのだ。
 だが――彼女は今、泣いていた。うれしくて、誇らしくて。ああ、もうすぐ我が子が誕生するのだ、新しい、愛らしい生命が私のもとへやってくるのだ、そう思うと、メモ用紙に書きしるすスピードも増していく。言葉のDNAが個体を成すと信じてやまないのである。
 まもなく夜が明けようとしている。さあ、想像してみよう。金色に輝く朝日が彼女の部屋全体を照らし、床じゅうに散らばったメモ用紙を一つの生命体へと昇華させる。彼女は泣きやみ、やがて静謐な祈りに変わっていく。メモ用紙に刻まれた言葉たちがぞろぞろと蠢きはじめる。
 彼女は祈りつづける。朝日を浴びながら。愉悦をたたえながら。
 すべてを――誕生の、その瞬間に捧げるために。


散文(批評随筆小説等) 誕生 Copyright 豊島ケイトウ 2010-09-15 13:26:06
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