夢見ヶ崎のひと
恋月 ぴの
弟と拾ってきた仔犬
団地では飼えないからと母にきつく言われ
泣く泣く拾った場所へ戻してきた次の日
くんくんと悲しそうな鳴き声忘れられなくて
自転車に乗り夢見ヶ崎まで
小高い丘の上には粗末な動物園
今ほど整備されていなかったような記憶あるし
それよりも山肌に作られた防空壕がお気に入りだった
多くの防空壕は固く閉ざされていたけど
掘りかけのまま放棄された防空壕は中に入ることができて
焦げ臭い薄暗がりに弟とふたりしゃがみこむ
何を話したのだろう
プリーツの土埃を叩けば赤とんぼの姿
弟は壕の奥から拾ってきた成人雑誌のグラビアを殊更に囃し
指の間から覗かせた親指をわたしの鼻先に突き出した
どこへ出かけるにしても自転車に乗っていった
薄情にも仔犬のことなど忘れ去ってしまったのか
そろばん塾を気にする弟をそそのかし
夢見ヶ崎からの帰り道、跨線橋の上から操車場を眺めた
無数の線路が夕陽にやたら反射して
列を成す貨車の背中は太陽の黒点のようであり
或いは歩みを止めた蟻の行軍にも似て
何が変わったのだろう
今では跡地から光り輝いた線路は消え失せ
セイタカアワダチソウの揺れる穂先が疎ましいにしても
耳を澄ませば動力車の汽笛が記憶を呼び覚まし
やはり何も変わってはいないのだ
夢のあとさき、そして掌から零れてしまった時のひと房