中途半端なアダルトチルドレン
チカモチ

1年半くらい前に両親に手紙を書きました。
※参考:http://blog.livedoor.jp/cmin/archives/51418042.html
これ以後、母との関係はずいぶん変わりましたが(母が自分に対して抱いていた警戒心がすっかり取り払われ、落ち着いて会話をしてもらえるようになりました)、父との関係は全く変わりませんでした。

いまだに憤ることがあります。マーケティングのことなどまるでわかっていない彼がとんちんかんなサンマルクカフェの販売戦略を語っているときなど、苛立ちで叫びたくなります。どうして知りもしないことを、何の根拠もなくそんなしたり顔で言えるんですか。調べもしないくせに、本も読んだことないくせに、思いつきでマーケティングを偉そうに語ってほしくない。立地条件がいいから売れ行きがいいだなんて、浅はかにもほどがある。
本当に些細な話です。憤る自分もどうかしていると思う。これがまったくの他人だったらせせら笑っていたでしょう。でも父は流せない。たぶん兄でも流せない。ひとたび家族が絡むと、普段生活している中では考えられないくらいの苛立ちが、暴力的に自分の中を走り抜けます。

それだけ激しい感情がわき出るのに何も言えない。自分の中に押し込めて、やりすぎるのをじっと待つしかない。先ほど書いた通り、自分が憤っているのは本当に些細なことであることが分かっているからです。食ってかかったら多分父は顔をこわばらせて、冷静を装いながら反撃するでしょう。私の苛立ちは増幅する。でも、怒ったことの筋が通っていないからやがて言いくるめられる。客観的に見たら筋が通っていないことは自分にもわかるから何も言い返せない。終わり。

親から暴力を受けている人から見れば、私の悩みなど取るに足らないでしょう。実際、あなたの悩みなど私に比べれば些細なものだと言われたこともあります。昔の私だったら、おとなしくうなずいて次に出そうとしていた言葉を飲み込んでいたでしょう。でも、そうじゃない。今なら言えるけどそうじゃない。問題なのは、自分の憤りすらも正当なものとして認められないことです。

親から暴力を受けた、あるいは言葉の暴力を受けて自己無価値観を植え付けられた。金銭的なゆとりがないから高校中退させられてアルバイトを強いられた。本当に大変なことだと思います。でも彼らは親を憎むことができる。明らかに自分は被害者だと思うことができる。それがほんの少しだけ羨ましい。失礼千万だとは思うけれど。
いつだって正義を振りかざしてきた祖母、父親、そして自分は被害者であると告げ、張り詰めた姿を子どもたちにちらちらと見せ続けてきた母。彼らはそれぞれ言葉にすることなく、無言の圧力で自分は正当であることを主張し続けてきました。周りは何の疑問も持たずにそれにうなずく。喧嘩のひとつも起こさない素晴らしい家族だね、とほめたたえる。幼い子どもに介入の余地などありません。言語化されていない、極めて抽象的な圧迫に対して、未成年の子どもがどうやって太刀打ちしろというのでしょう。同じ境遇に立たされたとしたら、今だって自信ありません。彼らの持つ圧倒的な支配感に飲まれ、否応なしに彼らの期待通りに、つまりあらゆるエネルギーを閉ざして従順に生活していたと思います。

一見人格者でありながら支配欲が恐ろしく強い祖母、典型的な内弁慶段階世代の父、そして卑屈さがすっかり体内に浸透し、常にストレスと脅迫観念に駆られていた母。それぞれが違った方向から私を抑圧していました。彼らは彼らのやり方で、十二分に私のことを愛してくれたのだと思います。でも、私にしてみればそれは愛ではなかった。とってつけたようにごきげんをとったり、上っ面の挨拶や世間話で満足して、肝心な話を持ちかけるといつも歪んだ笑顔で話をそらすような、そんな子ども騙しは全然愛じゃない。そんな不誠実極まりないやり方で子どもとうまくやれていると思い込んでいる父が憎かったし、今でも憎いと思う。でもこれも虐待を受けている方たちから見れば、思春期の悩みの延長に過ぎないのでしょう。

心理学や精神医学についてはよくわからないけれど、表面的には何も起きていないけど内面的にはこじれている問題は、表面的に何か起きて内面的にもこじれている問題よりも、精神的な対処が難しいような気がします。周りの理解を得られないし、自分自身も正当化できない。ぐだぐだ言っている自分に余計な後ろめたさを感じてしまう。憎しみにも絶望感にも踏み切れない。

こんなことを書いたらまた先輩に怒られるのでしょうか。「公表する類のものじゃない。改めなさい」と。
友人は言うのでしょうか。「あなたは真っ直ぐすぎる。もっとうまくかわして生きろ」と。

もし過去に遡ることができるのならば、幼い自分に対して言ってやりたい。「あなたが今苦しんでいるのは無理もないことだ。苦しいと思って当然のひどい状況だ。世間が何と言おうと、とてもひどい状況だ」と。でもこの状況を打破する術は残念ながらない。いつまでも続くことじゃないから耐えるしかない。あなたは感受性が豊かだから色々と感じてしまうけれど、でもそれもいずれ血となり肉となるから、今は味わいつくしなさい。自分の感情を心の奥底まで落としこめるのはあなたの才能だから。今はそれを黙って研ぎ澄ましなさい。言われなくても全部自分でわかっていることだろうけど、念のために言っておく。あなたが今感じていることは全部間違っていない。世間には認められづらいし説明もしづらいけど、間違いなく今はひどい状況だ。

女は利己的で客観性に欠く生き物だと言われていますが、だとしたら今日の記事は大層女性的なのだと思います。それが分かっていながらどうしてこんなことを書いたのかといえば、親の呪縛から逃れたいから。その一心でございます。でももしかしたら、一生逃れ得ないものなのかもしれない。一方ではそんな気もしております。いっそそう勧告されたほうがすっきりするかもしれません。

もう一度言います。挨拶を一言交わせばそれで親子としての関係が成り立っていると思っている父が許せない。挨拶を交わさなければ慌て、翌日とってつけたように世間話を持ちかけ、返事をすればあからさまに安堵して、満足感に甘んじている父は本当に浅はかだと思う。口論になりそうになれば歪んだ笑顔でするりとかわし、急に子ども扱いする父。コミュニケーション不全者。
あの人、友達いないでしょう。これまで血の通った会話を人としてきたことがないのよ。だからあなたとも向き合えないの。考えてみれば私もあの人とそういう会話をしたことないもの。だから仕方ないの。わかってあげて。母は真剣な顔でそう諭します。
ああ、あの人もどうして何も言わずに、何一つ心を通わせようとする努力をすることもなく、背を向けて黙って去って行ったのでしょう。どうして。どうして。どうしてみんな、肝心なときにぶつからないで逃げるのでしょう。

自分を嫌いになることはそんなにないのですが、ある種の欠陥品だとは思います。何かが欠けている。陳腐な言い方になりますが、おそらくは愛が。愛というものが何か、愛に包まれた感じがどんなものなのか、たぶんいまだに実感できずにいます。絶対的な安心感、究極のリラックス。そういったものなのでしょうか。警戒心、緊張感がかなり高い割合で常駐している自分には、皆目見当がつきません。
でもこれに関しては、100%自分に問題があるのだと思っています。周囲に結界を張り、長いこと人にどっぷり浸からないし浸からせない。自分もまた、コミュニケーション不全者なのかもしれません。

ずいぶんと長くなりました。不愉快に感じた方もいるかと思います。ただ、私は私で結構必死なんだということも一応主張しておきます。

最近、レッドツェッペリンの『天国への階段』、太宰治の『人間失格』が妙にしっくりきます。これもまた月並みな話ですが。


散文(批評随筆小説等) 中途半端なアダルトチルドレン Copyright チカモチ 2010-09-04 13:19:03
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