あしたのタケジョー
花形新次

その日茗荷谷博士は、
本屋「絶倫堂」店員のノリちゃんに
八幡宮に呼び出されました。
博士は、ノリちゃんに出会って以来、
毎日「絶倫堂」に肉まんを大量に抱えて通いつめ、ついに
ノリちゃんと付き合うようになったのです。
ですから、その日も博士は大はしゃぎで、一番のお洒落(かすりの着物に
カウボーイハットとビーサン)をして、急いで自宅から1分の八幡宮に駆けつけました。
ノリちゃんは、既に八幡宮の石段の前で、待っていました。
その姿は、ここが八幡宮ではなく、長谷の大仏ではないかと錯覚させるほど
堂々としたものでした。肩にハトの糞も落ちていましたし。
「ごめんね、待った?」
「いいえ、私も今来たところ。」
博士は、ノリちゃんの様子がいつもと違うことに気付きました。
何故ならノリちゃんの表情が少し思いつめたような感じだったからです。
「何かあったの?」博士は心配になって訊ねました。
「ううん、なにもないわ。何故そんなこと聞くの?」ノリちゃんは言いました。
「だって、つらそうな感じだから。どこか具合でも悪いのかな?肉まんの食べ過ぎかな?」医者らしく博士はそう言いました。
「肉まんの所為にしないで!肉まんに罪はないわ!このインチキ医者!」ノリちゃんはそう反論すると黙りこんでしまいました。
博士もノリちゃんのあまりの剣幕に言葉を失ってしまいました。沈黙が二人を包みました。
30分は過ぎたでしょうか。ノリちゃんが漸く重たい口を開いて静かに話し始めました。
「茗荷谷君は何のために危険を顧みずに、アフガニスタンやイラクやコソボや五反田に行ったりするの?」
「その話か。」
「世間の他の48歳は、奥さんや子供を持って、平和に幸せに暮らしているって言うのに、何故茗荷谷君はそんな風には出来ないの?」
「俺は、のうのうと平和に暮らせる、そんなご身分じゃないんだ。」
「それって、ベトナム戦争で亡くなった、あなたの部下の日系人デーブ・新大久保さんのことが関係しているの?もし、そうだとしたらおかしいわよ。」ノリちゃんは興奮気味に捲し立てました。それをさえぎるように博士は話しました。
「あれはベトナムの森のなかで捕まえたノブタを丸焼きにしてみんなで食おうとしたときのことだった。
奴は心配そうに俺に聞いてきたんだ、「ちょっと生焼けっぽいですけど、大丈夫ですかね?」って。
俺は、何のためらいもなく「大丈夫だ!沢山食べて精力をつけようじゃないか。」と答えた。
奴はそれを聞いて安心してがつがつ食ったよ。他の誰よりも多くのノブタの生焼け肉を。ところがだ、その夜、テントの中で、のたうちまわりながら苦しむ奴のうめき声で俺は目が覚めたんだ。完全な食中毒だった。軍医の俺にも手の施しようのない酷い食中毒だった。それから3日としないうちに奴は死んだ。
ベトナムの森に奴を埋葬した日は雨だった。雨にうたれながら、俺は誓ったんだ。これから豚を食うときは、焼きすぎるぐらい焼いて食おうと。」
「でも、過去の過ちによってその後の自分の人生すべてを犠牲にするなんて・・・それってあまりに悲しすぎない。」ノリちゃんの目には涙が溢れていました。博士はその涙を見て、弁解するように言いました。
「奴に対する気持ちが、そうさせるのはもちろんだよ。でもそれだけではないんだ。なんといったらいいかな、
戦場は、常に死と隣り合わせだ。その日一日を必死で生き延びなければならない。本当に命を燃やし尽くさなければならないんだ。
今の日本に生きる48歳に、そんなギリギリの生き方をしている人間がどれだけいるというんだ。みんな不完全燃焼、ブスブス燻っている連中ばかりだ。俺は、そうなりたくはない。命を燃焼しつくして、真っ白な灰になりたいんだ。」そう言うと、ノリちゃんのことを見つめました。
「茗荷谷君の言いたいことは、何となく分かる気がする。でも・・・・私はついて行けそうもない。」
そういうと、ノリちゃんは涙を人差し指で拭い、ドシドシと地響きをたてながら、鎌倉駅方面へと走り去ってしまいました。

博士は取り残されながらこう思いました。
「あの娘、あき竹城に似てるな。」

これが、茗荷谷博士失恋事件の真相です。





 






散文(批評随筆小説等) あしたのタケジョー Copyright 花形新次 2010-09-02 08:47:45
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