川のコトバ
殿岡秀秋

小学校から帰って
叔父に自転車の運転を習う
家には大人用しかない
「両足がとどかないよ」
「おれだってとどかないよ」
叔父は自転車のサドルから腰をおろして
片足しかとどかない姿をぼくに見せる

叔父が荷台を両手でつかまえて
倒れないように支えて
ぼくは自転車のペダルを漕ぎだす
旧日光街道を荒川放水路に向って進む

後ろは見えない
荷台を持ってもらっているはずだが
軽くなった気がする
もしかしたら叔父は手を離したのではないか
「倒れてしまうよ」
予感にからだが硬くなり
両手がもつハンドルがゆれる

叔父が走ってきて荷台を持つ
「今はひとりで漕いでいたよ」
叔父は何事もなかったようにいう

ついてくる靴音を聴こうとするが
目の前の道路をゆきかう人をよけることに気をとられる
しばらくするとまたペダルが軽くなる
叔父が荷台から手を離したなとおもうと
自転車がゆれだす
倒れそうになると
荷台を支えられたのが
ペダルが重くなるのでわかる
叔父はその間走ってついてくる

まっすぐ前をみて
背筋をのばして
ヤジロベエになり
サドルに座って短い足でペダルを漕ぐ
漕いでいないと立てた板のように
自転車は倒れてしまう

荒川放水路にかかる橋まできて
土手の上を川沿いに走る
舗装されていないが自動車はこないしひとどおりもすくない
水溜りがあって
向こうから自転車に乗る小父さんがくる
水溜りがないところは狭い
このままでは正面衝突してしまう
ぼくは大声をあげて目をつむった

ぶつかるとおもったが通り抜けている
目をあけたら
無事に自転車を漕いでいる
叔父が荷台をもってくれて止まった
衝突しないですんだのが不思議だった
ぼくは溜め息をついた

「お子さん、運転うまいですねといわれたよ」
と叔父がいった
ぼくは叔父の子ではないので
そう思われたのがいやだった

荒川放水路の土手では
ひとりで自転車を漕ぐ時間が長くなる

叔父は荷台から手を離してしまうが
ぼくはまだ自転車を止めて
降りることができない
スピードが出て
バランスを失い
倒れて
自転車の軸に左足の脛をぶつけて
痛さにうずくまる

叔父がはしってきて自転車を起した
痛みが消えるまで
荒川放水路の黒い水が光るのを見る
叔父も隣に座って午後の川面の乱反射を見る
「自転車の練習をやめるよ もうできない」
野菊の花の横の土手に座って
ぼくは川に向ってつぶやく

しかし練習を続けた
自転車にブレーキをかけて腰をずらして
左足を先におろし
右足はサドルの上において
おりることも覚えた
ついに乗れるようになった

ぼくには無理かなと思えることがあると
荒川放水路の土手から見た
沈黙の黒い川を想いだす
日を照り返しながら
ゆっくり動いていく波の向こうに
海が広がる











自由詩 川のコトバ Copyright 殿岡秀秋 2010-09-01 06:29:30
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