調理実習の勝ち組は人生の勝ち組
チカモチ
昔、家庭科の授業で「調理実習」というものがありました。
私はあれが大嫌いでした。
いくつかの班に分かれて、各自役割分担をします。
AさんとBさんは切る係、CさんとDさんは焼く係、Eさんは盛る係、Fくんは味見係、といった風に。
が、いざ実習が始まってしまうと、
作業場所が狭いこと、調理道具が限られていることから、
主要な作業をできる子は限られてきてしまいます。
包丁を握る子がせいぜい二人、
フライパンを持つ子は一人、
あとはたいてい皿洗い係、片付け係に徹してしまうのです。
私はいつも食器洗い係でした。
調理実習の時間にフライパンを持った記憶がありません。
周りの班を見渡すと、どの班においても、
フライパンを持っていた子は、勝気な優等生タイプの子でした。
包丁を持っている子は、わりと要領のいい感じの子でした。
そして、自己主張をあまりしない目立たないタイプの子は皿洗い係に徹する。
気がつけば、そうなっているのです。
でも今にして思えば、それは必然的な結果でした。
材料が揃ったらいち早く包丁とまな板を確保するのは、
状況をすばやく読みとれる子でないとできません。
臆することなくフライパンを持つのは、
よほど自分に自信がある子でないと、なかなか難しいでしょう。
そして、思うのです。
調理実習の時間にフライパンを持っていた子は、
やっぱり今も華やかな人生を送っているのではないか。
皿洗いをしていた子は、
相変わらず地味な人生を歩んでいるのではないか。
私はあの時、憤りを覚えていました。
どうしていつも自分は皿洗いばかりしているのだろう。
やることがないから仕方なく友達と喋っているのに、
なんでそれを非難がましい目で見られなきゃならないんだろう。
いつもフライパンを持っている子は、私の葛藤なんてきっと分からないだろう。
あれから10数年たった今、あの時と同質の憤りを覚えることがあります。
世の中、生まれながらの勝ち組と負け組みはたしかに存在すると思います。
そして残念ながら私は負け組みなのです。
でも、負け組みにしか分からない気持というのはあると思うし、
それがあるからこそ、人として少し優しくなれる気がします。
そんなわけで、調理実習の勝ち組は人生の勝ち組。
最近の私の持論です。