雲
「ま」の字
そのころ
灰色の頭部をした
理知的な蛸のやうなものが地上を統べ
うつくしい名画さながらに平原を
ナナめに逃げ惑うひとびとを捕らえては
おちこちのしかかっている
(すぐれて理性的な蛸の あたり憚らぬ食欲の喘ぎが
絶望する者の耳に 射精の如く注がれ )
それからジタジタと濡れた森の小径に似た
うす暗い千年紀につづく数億年が過ぎたあと
ようやくトンネルのさきに滲むもののように現れた
力無い西大陸のはて
粗い布を被った なまめかしい脚を生やしたいきものたちが
荒地に見え隠れしながらあるいてゆく
蛸も人も見あたらなくなった土地を
低くなりある光線が不思議にすくい上げる
弔列は一すじに斜線をひく
雲は茫々と行く
鉦や太鼓にふちどられる
その空は
現在とは少々様子が違うのだろうか
だが、気づけば何度も窓枠のむこうに
あるいは退勤時に
夕暮れけぶる低地にぽつんと立つ校舎から出るたび
遠いはずの雲が突然視界に立ち上がる
数億年後が動いている
数億年後が、今あのように
窓枠は建物から離れてしまい
泥土の真ん中に
巨きな
ひとつだけの門となる
ある筈のガラスは見えない
なんというか
可笑しいのか恐ろしいのかわからないままで
とにかくしんとしてしずかだった
招いているのか、いないのか
生きものなら必ず感じるはずの可否のにおいがどうしてもしない
輪郭線がほころんでくる
夕暮れのところどころをあるいてゆく人びとの内には
それぞれちいさな舌があるはずで
呑み損ねた唾液のあじきなさがしずかに胃の腑まで下がってゆくものらしい
(まただ・・・
むざむざとあかるい赤光に
数億年の雲がまた
あらあらと削げ立ってあらわれている