海のこと
はるな
海の日、海へ行った。
前の日の夜中に、車をかりて、夜の海をすこしみた。夜の海は、黒くて、空とつながって、これだったら、たしかに入って行きたくなっちゃうねと行った。浜へは下りなかった。どこもかしこも満室で、すこしずつ道を戻って、結局藤沢のモーテルに、猫がなんびきもいて、あまりにもラブホテルらしいホテルなのでわらってしまった。
翌日、真昼の由比ヶ浜、わかいひとたちがたくさんいて、わたしたちは砂浜をはだしで歩いた。やけどしそうなくらい焼けた砂と、頭上をめぐるとんびの群れ。男の子たちはナンパの練習を小声でしていて、小麦色の女の子たちは興味なさそうにシャーベットをたべる。海にほどちかいファミリーレストランには17か18くらいのグループが水着に大きなタオルを巻いただけでおしゃべりをしていて。ざらざらに褪色したかみの毛が濡れたままからまって。
コーヒーを一杯ずつ飲んだ。窓のそとははれわたっていて、先ほどの若い子たちが出ていくのが見える。三台のバイクに二人ずつ繋がって、たばこをくわえて、お互いに火をつけてあげる。それを窓の向こうに見ながら、わたしと彼女たちとは全然ちがう場所にいるなと思った。
窓の向こうがあかるすぎて、あまりにもすべてと隔てられすぎていた。わたしの目の前には恋人がいて、わたしを守ってくれている。わたしは、海辺で肌をさらして誰かを待たなくてもいいのだ。自分を必要としてくれる誰かをまっている子たち。でも、たとえばわたしに恋人がいなかったとして、ああいうふうに自分から、その「誰か」を探しにこれただろうか。海辺の子たちを遠く感じるのはたぶんそのせいだと思う。
こいびとと、小さな旅行をいくつかしたことがあるけれど、今回もふくめて一番すきなのは移動だ。わたしたちはレンタカーで移動する。だいたいは恋人が運転して、ごくたまにわたしがハンドルを握る。わたしは助手席で、恋人の横顔と、その向こうにある景色をみる。景色が、どんどんかわっていく。でもわたしたちはここにいて、一緒にいる。その安心をたしかめるのがすきなんだとおもう。遠くにきて、でもひとりじゃないってこと。そうして、その「遠く」からまた戻る場所があるわたしたちのこと。日常に守られていることをありありと感じる、わたしたちの小さな旅行。
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