よこしまなにじ
結城 希
コン、コンと2度ノックをして、僕は部屋に入った。
すっと息を吸って、「はじめまして」とあいさつしたけれど、
どうやら誰も取り合ってくれない。
そこには、一風変わった人たちがいた。
タバコをくゆらせながら、じっとテレビを観る人、
落ち着かない様子で部屋の中央を行ったり来たりする人、
壁に向かって、ずっと話し続けている人、
みんな、なんだか気が気でない様子だ。
ふと、一番近くにいた男性がすっくと立ち上がって、
僕の方に歩いて来た。
やあ、よく来たね。ここは初めてかい?
彼は気さくな感じで右手を差し出した。
「名前は何て言うんだい?」
「あ、キツネって言います」
僕が答えると、彼は一つ口笛を鳴らした。
「そいつは愉快な名前だ」
彼はにやりと笑った。
なんだか嫌な感じの笑い方だった。
「おっと、キツネのお嫁さんが来たってことは、そろそろ俺の出番かな。
じゃあ、また後でな」
彼は言うが早いか、気づいたら部屋を出て行っていた。
僕は物も言えずに、目を白黒させていた。
近くにいた人に、「さっきの男の人は何て言うの?」と訊ねると、
「ああ、あいつはニジって言うんだよ」
と、教えてくれた。その人の名前はクモと言った。
「ニジは、嫌な奴さ」とクモは付け加えた。
どうして、と僕が訊ねようとしたとき、
部屋にクモと同じ顔をした人が大量になだれ込んで来て、
僕は仰天してしまった。
「クモは人気者だからな。出ずっぱりなんだ」
と教えてくれたのは、アメという人だった。
その後何人かのクモが部屋を出ていって、
僕は最初にニジの名前を教えてくれたクモがどれであったか
もうわからなくなってしまった。
テレビから歓声が上がった。
見ると、さっきまでタバコを吸っていた男が、
立ち上がってテレビに観入っている。
どうやら舞台は、
いよいよクライマックスを迎えようとしているらしい。
僕は興奮を抑えられずに、
入って来たばかりのドアを開けて、部屋を出た。
舞台までの廊下は上り坂になっていて、
歩いていると、だんだん空に近づいている気がした。
舞台袖に着く。
そっと、脇から客席をのぞく。
ちょうど暗転の後で、人々は少しざわついていた。
スポットライトが光った。
ニジが一人、舞台に立っていた。
ニジは音もなく現れて、そして長く輝いた。
一瞬の静けさの後に、拍手が鳴った。
瞬く間に、会場は喝采で包まれた。
ニジがにやりと笑っていた。
「な、嫌な奴だろう」
気づくと、傍らに最初に会ったクモがいた。
僕はそうだねと頷きながら、
ニジに拍手を送っていた。
その日はよく晴れた日曜日だった。
(即興ゴルコンダより)