死神博士のお化け屋敷
atsuchan69

崖っぷちに建つ古びれた館のまえで、サイボーグの首なし馬車を降りた。
死神博士の案内でオーロラの門をくぐったとき、人魂ならぬ様々な色形のプラズマライトが宙を舞い、そして仄かに灯って私の足元を照らした。
「博士。これはさっそく、いやに科学的なムードですね」
「勿論。総ては、科学によって証明できるということを予め知らしめるための演出も兼ねている」
黒羅紗で仕立てた細身のタキシードを着た死神博士は、さも自慢げにそう言うと胸のあたりに拳をあてた。
よく干からびた人型が数枚、人面痣のある庭木で首を吊っている。
「やつらは皆、科学を信じようとしないがためにああして己が惨めなるさまを晒しているのじゃ」
私が訊きもしないのに博士は意気揚々と解説した。
干からびたやつの一枚はカメラマンふうの身装で、ムンクの叫びのような顔で今にも折れそうな細い枝にぶら下がっていた。
そして玄関のドアは勝手に開き、パーツを縫い集めて蘇えらせたという博士自慢の気味の悪いメイドがぼろぼろに溶けた歯を見せてニッコリ笑い、
「あら、あなた。ワタシに逢いにきたのね」
そう言って力任せに私に抱きつくと突然、恐ろしくディープなキッスをした。



やがて暖炉のある応接間に通されたが、よく肥えた赤毛のメイドは錆びた色の水を尿瓶に入れて運んだ。
「お茶請に、こちらもどうぞ」
「な、なんですか、虫みたいなこれ」
「網翅類である昆虫を大量に捕獲し、ローストした天然素材のスナックじゃよ」
「なんかゴキブリに似てますよね」
「そう、まさしくそれだ」
「で、このヘンな色の水は? 」
「あたしのオシッコ! おかわりでしたら、いつでも言ってくださいね」
すると博士の背後の本棚がゆれて、紫がかった光を帯びた一匹の猫が飛び出した。
「こら、ベーコンちゃん! 悪戯はよしなさいってば。――いや、心配はご無用。じつはこの猫は実在しない」
実在しないと、そう言いながらも博士は、その実在しないという猫を抱いて頭を撫ぜる。
「博士。実在しないってどういうことです?」
「うん。つまりベーコンは我々の次元とは全く異なる亜空間で暮らしているんじゃ。まあ、たまにこっちへ来たり、あっちへ行ったり・・・・」
「それって立派な幽霊でしょ」
「いやいや。最新の電磁気学では『プラズマ生命体』と呼んでいる」
「はあ、プラズマ生命体ですって?」
「厳密に言えば我々もプラズマ生命体なのじゃ・・・・か弱さゆえに原子と原子による土俗的な束縛をうけた不自由な肉体という特殊な容器のなかでは本来の姿であるそれはきわめて低いレベルでしか活動できない」
「えーと。博士、仰っていることがよくわかりません」
「まあ、簡単に言えば、死ねばあっちへ行ける・・・・」
「や、やっぱり幽霊じゃないですか!」



草木も眠る丑三つの刻――。催されたディナーは、村人のグリルとか詩人の脳みそとか、舌と唇の鮮血のパテだとか、ぶつ切りにされた手だの、足だの、頭だの、プリンのような乳房だの蜂蜜漬けの目玉だのがテーブルに並んだ。
死神博士は若い女のものと思しきレアな腿のあたりを、もはや人間とは思えない鬼のような形相で齧りついた。
メイドはまた錆びた色の水を尿瓶に入れて運ぶ、
「たくさん、お食べになってくださいね」
「いやもう、見ただけでお腹一杯」
「――さあ、どうかご遠慮なされないで」
心優しいメイドは私に寄り添ってスプーンで掬い、乾いた血痕のある不潔な皿に目玉を二個ものせてくれた。
「アントロポファジーについて・・・・」
やがて死神博士は人心地ついて口元をハンカチで拭うと舌も滑らかに話しはじめた。
「けして誰もが語ろうとしないない、封印されてしまった時代がある・・・・それは氷河期だ。その頃、人類はすでに食人を行っていた。これは個体群生態学的にも非常に興味深い。その末裔である我々は、今も社会という檻に閉じ込められた獣であるのだが、獣本来はごくあたりまえに共食いを行っている。自然界では至極当然な摂食行為なのじゃが。うん、しかし我々の世界はこれを全く許さない。だとしても、天然の野獣である肉体にとって禁欲的かつ道徳的であること。それは陸の生き物が水の中でもがくように、酷く息苦しいことではないかね? なぜなら道徳的なこの社会そのものこそが、真っ向から自然に敵対するもの、獣を収監する牢獄だからだ」
私は恐るおそる銀のフォークに突き刺した目玉を手にしたまま、死神博士の話を黙って聞いた。
「いいかい、我々の肉体は獣だ! しかしここからが肝心なのだがね・・・・プラズマ生命体である我々の本性はこの世界に属さない。ではここにいる私は誰なのか? 本当の私、本来の私の仮初の姿は、ここに偽りの姿を纏ってある・・・・」
すると博士は暫く口をつぐみ、そのあと蒼く腫れあがった深い傷口のように美しい赤毛のメイドに向かって「聖書を――」と言った。
メイドは黙って頷き姿を消すと、まもなく――いったい何を考えているのか判らないが、とにかく彼女は水玉のビキニ・・・・継接ぎだらけの灰色の皮膚が、あまりにも露骨すぎる――水着姿になってそれを博士へと届けた。
博士は、革表紙を捲るまえにポケットからやや大きめのルーペを取りだした。
「ローマ人への手紙・・・・」そう言って、紅い薔薇の花びらを挿んだ目当ての箇所をさっと開いた。「六章二十三節。ここに、次のように記されている。『それ罪の拂ふ價は死なり、然れど神の賜物は我らの主キリスト・イエスにありて受くる永遠の生命なり』――また、コリント人への前の書十五章五十五節、五十六節に、こう書いてある。『死よ、なんぢの勝は何處にかある。死よ、なんぢの刺は何處にかある。死の刺は罪なり、罪の力は律法なり』」
そこで博士は、聖書を閉じた。テーブルには手のつけられていない、ぶつ切りにされた手だの、足だのがまだ山盛りに並んでいる。
「――今宵、新聞記者である君を呼んだのは他でもない。長年におよぶ私の研究の成果である『殺人装置』を世に送り出すためである。これは判りやすく言えば、新型のギロチンである。しかも、いかなる罪びとであっても、失ってしまうのは肉体だけであり、君が見た猫のベーコンちゃんのように『プラズマ生命体』として我々が本来あるべき姿の住まうべき理想空間へと安全に転送される。痛みは微塵も与えない、したがってこの装置は、単に限られた凶悪犯罪者の処刑を目的とするだけでなくより大勢の『罪なる肉体』をいわば『天国』へと導く、幸福の装置なのじゃ」
「でも・・・・」と私は思わず呟いてしまった。
「不安を抱いているようなので、さっそく装置をご覧にいれよう。――ああ、その目玉。はやく食べなさい」



水着のまま、そしてさらに不条理にもビニールの浮き輪を腰に嵌めて怪力の赤毛のメイドは部厚い鋼鉄の扉をまるで障子戸を開くように軽く人差し指でスライドした。
覗かれた博士の実験室には、撮影器具と照明がすでに準備されていた。中央に置かれたベッドが、おそらく『殺人装置』なのだろうか?
「よし。音声も映像も記録がはじまっている、この実験が正しく行われるのを二人の証人によって監視してもらうことにした」
博士はタキシードの上着を脱ぎ、黒の蝶ネクタイも外した。そうしてベッドに座るとシャツの袖口を弛めながら、「全世界のみなさん――」とつづけた。「電磁気学についてはご存知でしょうか? この研究はマイケル・ファラデーという学者により始められたと言っても過言ではありますまい。有名なフレミング右手の法則というのは、じつはこのファラデーによって発見された電磁誘導を判りやすくしたものです。さて、彼が晩年に行った講演が『ろうそくの科学』という本にまとめられています。そのなかで彼は『ロウソクの現象を見れば、この宇宙を仕切っている法則はすべて顔を出す』と語っているのですが、一本のろうそくを燃やす、この『燃焼』という化学反応にこそ我々人類の未来が隠されていたのです。つまりそれはどういうことなのか――」
そこで博士は百円ライターを取りだして火をつけてみせた。「物質が燃えるといのは、一般的には連鎖的な酸化反応であり、光と熱が生じます。ではこの光の正体は何でしょうか? 電磁気学はファラデーの死後もつづけられ、やがて光もまた『電磁波』の一種であることが判明しました。そしてさらにサー・ウィリアム・クルックスは固体・液体・気体とは異なった、物質の第四態としてプラズマという概念をはじめて近代に持ち出しました。一見、原始的ともいえるこのライターの燃焼も条件さえそろえば物質を不可思議な状態へ導くことが可能です。果たして、それを司るのがこのプラズマってやつだったのです。――さて、なんとなく小難しい話になってきました。ではここで『ベーコンちゃん』に登場してもらいましょう。――ベーコンちゃーん!」
とびきりよく懐いているのだろう、博士の一声で時間と空間を異にする世界に住むアメリカン・ショートヘアーが紫色の光をおびてベッドに飛び込んだ。
「論より証拠。――この猫の肉体は、かつては我々と同じ世界で暮らしていたのですが、強力なレーザープラズマの照射によって一瞬で蒸発してしまいました。この技術は肉体を死へと導くものでありながら、存在それ自体の本質をプラズマ化し、光の領域にある恒久的な亜空間へと定着させるものです。罪にまみれた肉体をもつ我々は、けしてこのままではそこへは行けませんが、『彼ら』は『あっち』と『こっち』を頻繁に往復します。いいですか、一匹の猫が『あっち』へ行けるのですよ。人間であるあなたがたが行けないはずがないでしょう。近未来において・・・・我々はもう、殺しあうことも奪い合うこともないでしょう。仲良くみんなでそこへ逝くのです」
傍らにベーコンちゃんが伏し、博士は仰向けになった。
「コンピューター、レーザープラズマ照射。エンター!」
と、博士は言った。
「音声認識、確認しました。対象物、博士。レーザープラズマを照射、準備中です」
天井に吊るされた機械装置が複雑に動き出すと、そのうち四本のアームが降りてきて博士のまわりを囲んだ。その銃口を想わせる、それぞれの先端には、既に低い唸り声と激しい局部破壊放電が起きていた。
「全世界のみなさん、まずはこのわしが一番乗りです」
ほんの少しだけ起き上がり、博士はカメラに向かってニッコリ笑った。
「照射、三十秒前です・・・・」
寝台のヘッドボードに取り付けられた黄色い回転灯がまわり、やがて黒ずんだ金属ガラス製の遮蔽壁が床から競り上がると、ついに殺人装置のカウントが始まった。
「キャァー。博士、超カッコイイ! 死んでもお達者でぇ〜」
赤毛のメイドは人の死に際して――不謹慎にも――心から嬉しそうに、さかんに手を振る。
「照射、十秒前です・・・・九・・・・八・・・・七・・・・』
「最後にたった一言――」と、博士は眼を閉じたまま呟いた。
「五、四、三、二・・・・」
「主よ、×××××」
「1、発射します!」
音もなく凄まじい閃光と、やがて足元から白い煙と毛皮を焼いたような酷く邪まな匂いが立ちのぼった。
「ああ。――博士、死んじゃったのね」
ややあって辺りが鎮まると、真っ白に曇った遮蔽壁をまわって、ついさっきまでベッドがあった場所の大理石の床が高熱で溶け、黒いガラス状の塊りになっているのをこの眼で見た。
「ああ。これってマジ、ユーチューブとかにアップできんのかな?」
私はひとり思案をしたが、
「大丈夫じゃ、わしも一緒に手伝うから」
ふと真横に眼をやると、さっそく紫の光を帯びた死神博士がいた。
とっさに・・・・頭では理解できているものの、身体が寒気を覚え、なぜか鳥肌立ってどうしてもこの「超常現象」ってやつには拒否をしてしまう。
――思わず、
「わ、わあ! 幽霊だぁ〜」と叫んだ。
そして私は、ムンクの叫びのような顔になって一目散にその場を逃げだした。









 





散文(批評随筆小説等) 死神博士のお化け屋敷 Copyright atsuchan69 2010-07-20 23:22:06
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