手紙
「ま」の字
突然だが、自分の居るのはいつも辺地だ。と、最近あらためて思った。君はどう思う。数百年の歴史を持つ、世界有数の人口稠密地に暮らす君には、ちょっと迷惑な話かな。
各自にとっての中心は各自自身だとすると、いつも辺地にいる僕の場合、世の中心は辺地ということになる。「端っこ(辺地)が中心」なんて、文章にしてみるとなんとも変テコだね。
けれども、世の中心が辺地である、というこの観念が、理屈の正否はともかく、僕の感覚にしっくり来て非常なこと驚くばかりだ。しっくり来るばかりでない。新鮮なんだ。風とおしがいい。
茫々と枯れ草震える荒れ地や、よく茂った草はらの波うつ七月の丘陵。人なんざ居ない。どこか行ってる気配だ。そこがほんとうの世界の中心だという。
光を感ずるんだ。それもごくふつうの、ありふれた午後二時だ。たまらないね。脚色ヌキのただの光。クソ無愛想で、それでいて突き放すでもない。そんな無関心な様子。乾いた草の擦れあう音が、とつぜん横合いから盛り上がるように聞こえてくるんだぜ。
無関心。そうだよ、そういう顔したにんげんが、ふとそこン所に腰掛けてたとしてさ、それがなにげなしにこちらを見る。
ふふ。そこに味気ない隙間があってさ、オヤオヤな観念が起こってくるんだよ。自由。自由さ。きっとそこに俺の考える「自由」があるんだろうなあ、と、そう思えてならないのだ。
もう俺のことは、死んじまったと思っといてくれてもいい。