アンテ

                  「メリーゴーラウンド」 11

  声

何度も何度も
くりかえし読んだ童話がある
街はずれの丘のてっぺんに
大きな観覧車があって
雨の日も風の日も
ゆっくりと回りつづけている
カゴはどれも空っぽで
ごくまれに
だれかが丘をのぼってきて
ごくまれに
カゴのひとつに乗って
一周するあいだ遠くの街並みを眺めて
再び地上に降り立つと
なにも言わずに丘を去ってしまう
そんな場面ではじまる童話だった

自分が目を開けているのだと気づくまで
ずいぶん時間がかかった
真っ白だった視界が
天井やカーテンの形に分割されて
病室の形になって
いつものベッドだとわかった
横たわっているだらしない体が
ほんとうにぼくのものなのか
確信が持てない
いつもの手順で左手の親指に力をこめて
かくん と曲がった瞬間
とつぜん神経のスイッチが入った

もどってきたんだ
ぼくだけ

ベッドから飛び起きる
呼吸器のチューブを抜いて
アタッチメントに付け替える
モニターと点滴を外して
深呼吸
しばらくは大丈夫そうだ
ベッドから降りた瞬間
尻もちをつく
長いあいだ眠った時の衰弱と似ている
いったい何日たったのだろう
気が遠くなりかける
アラーム音に気づいてやってきた看護婦さんを
手話で制圧
彼女の容態を訊ねると
びっくりされた

壁のない
ひとつづきの区画を
壁に寄りかかりながら進む
ここはICUです
掲げられた文字

ある時
重い病気にかかった少年が丘にたどり着く
観覧車に乗り込むのが精一杯で
カゴのひとつに身を横たえたまま
窓のそとを見る力さえ残っていない
観覧車は少年のカゴをてっぺんまで持ち上げ
生まれてはじめて回転を止める
風がどこかからやってきて
カゴを揺らしてどこかへ過ぎ去る
少年はぼんやりと空を見あげている
ほら あんなに遠くに海が見えるよ
あの山のてっぺんには雪が
観覧車は必死に話しかけるけれど
少年に聞こえるのは
鉄骨がぎしぎし揺れる音だけ

お医者さんも看護婦さんも
なにも言わなかった
いちばん隅の個室のベッドに
横たわって眠っている彼女の
鼻から口を覆った透明なプラスチック
白いシーツがかかった胸が
わずかに上下して
そのたび呼吸器が音をたてる
閉じた目
束ねられた髪を
ぼくの手がなんどもくり返し撫でる
探り当てた手を握りしめる
あたたかい
今もずっと
あの遊園地で待っているんだ
ひとりぼっちで
ぼくを
ぼくが呼び覚ますのを

ぼくが眠るたび
何度もくり返し
彼女が呼びもどしてくれたように

たくさんの人たちが
丘にやってくる
どうやら少年を探していることが判明する
みんな口々に少年を呼ぶ
けれど観覧車はどうしても
少年を彼らに返すことができない
生まれてはじめて止まったので
どうすれば動き出せるのか判らないのだ
やがてみんなあきらめて
丘を下りて別の場所へ行ってしまう
観覧車は叫びつづける
少年は目を閉じる
呼吸が間遠になる
観覧車は叫びつづける
鉄骨がぎしぎしきしむばかりで
どうしても
動き出せない
どうしても
動き出せない

そんな童話
読むたび悲しくなって
なぜこんなつらい物語を
書いて本なんかにするんだろう
涙がぽろぽろと
こぼれ落ちて

彼女のほおを
伝った

ぼくの喉が
カニュレが
奇妙な音をたてる
ベッドの手すりをわし掴みにして
言葉にならない声が
空気が
ぼくの内側にあって
膨張
ぼうちょう
塊になって
唇を割る

足に力が入らない
背後から抱え込まれる気配
ぼくは

手をのばす
口もとのプラスチックが外れる
指で涙を
ぬぐって


ぼくは確かに
彼女の名前を

視界が反転
看護士さんごと転んだと
わかるまでずいぶんかかった
あわただしい気配
差し出された手を払いのける
ベッドのフレームに掴まって
身を起こして
立ち上がる
呼吸器のチューブ
点滴の機械
ベッドのうえに
体を横たえて
ぼくを見ていた
ぼんやりと
でも
とても澄んだ瞳で
ヒナコちゃんはぼくを見ていた

唇が笑っていた


                 連詩「メリーゴーラウンド」 11




自由詩Copyright アンテ 2004-10-13 02:04:27
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メリーゴーラウンド