鈍き罌粟の季題
井上法子
}羊水(春)
コイン・ロッカーのコインが着地する
その音を聞いて
呼気をつきはなす
わきまえてなまえを呼んでも
まだないのだから
うぶごえをあげる
こっちへ来なさい、
と あなたがそれを引っ張りだす
瞬間においがする
それは真っ赤な改札で
ぶつけようとしたことばに
あなたは蝶を住まわせて
ふりかえらず
春の水の中を泳いでゆく
}血(夏)
それは瞳でした
過去をつなぐ線路に置き石をしたい
脱線した車両からはみでるたくさんのわたしが
希求しているそれぞれの未来を想いたい
書くことは血をながすこと
赤いものは何も生まない森へと流れ
舞ってしまえばいくつかの描写がひつようで
比喩はマテリアルの一部として傷もえぐらせる
そらに放てば息をわすれて
蝶のようにことばはいってしまうから
体温でそれをにぎりつぶせよ
銀粉まみれのてのひらに
酢のにおいをかぐような表情をして
浮遊するための羽音は
こんなにもすさまじいのか
}古井戸(秋)
てのひらはきらびやかです
おちたはずのそれを舐めると
おそろしくなまなましい味がしたんだ
おまえはわたしの中で消化され
またひとつの新しい韻律にころされるだろう
落胆にかたむきは震度を越えて
いつになく傲慢になれそうです
文句をわすれた「神様」を古井戸に投げ込んで
渇いた着音にむねをひびかせながら
わたしはピアノの鍵盤にふれる
殴り続ければいつかはころして
真っ赤にしぬはずだったのに
鍵盤を打つゆびさきが驟雨をおもわせて
ゆっくり蘇生しなさい
}銀河(冬)
樹を植える姿勢で攻めていっても
じぶんのためには育ってくれず
だれかしらの雨や日光を遮るためのそれで
みずみずしいなんて形容詞は離れていって
古いコンタクトレンズにうつる魚影がちくちくして
カフェオレ臭い指をなめるとへんにいやらしくって
すべてをわるい方向へ流れさせて
わたしの想うあなたはうつくしい
それなのに
真夏の改札すら通らずにいってしまう
こっちに来なさい、
をわたしが言うわけにはいかず
わたしの手はあるひとの手首も掴めず
だから
自慰をするためのゆびさきで
わたしはいま
あなたを
ちょっとずつはじけ飛ばしている