まずまず
ホロウ・シカエルボク




リアルの始まりはいつだって白濁に過ぎない、毛髪の根本に仕込まれた飛び道具がわずかに余計な色を添え、36度あたりの赤い水力がタービンを回し始める…ハロゲンライトの灯りはまるで、ちょっとくらいの感情なら眉ひとつ動かさずに焼き尽くしてしまえそうに眩い
膝が破れかけたデニムに脚を突っ込んで、ポンコツが摂取するに相応しいガソリンを物色するべく表通りへ出た、雨が降り続く毎日に雨雲すらもううんざりだという顔をして空で低くうなだれていた、今日はまだ地面は濡れてはいないけれど、いっそ濡れていてくれた方がマシだというほどに湿度は高く、もうそれは少し固体化しているんじゃないか、なんていうおかしな考えを脳裏に漂わせた
とある携帯電話の基地局でトラブルがあって、俺のものも含めて今日はいろいろな連中が種々雑多なコネクションを半ば取り上げられている…すっかり数が少なくなった電話ボックスには長蛇の列が出来ている、最後尾の若い女はもう世の中のすべてに絶望したみたいな顔をしている…俺にはなんの問題もない、一日二日連絡が取れなくたって、トラブルの元になるような関係はアドレスの中に一件だって含まれちゃいない
小さな博物館の屋根の上で、名前の分からないつがいらしい鳥が何かを話している、それはとても良い話のようにも見えるし、何か不吉な兆候について懸念しているみたいにも見える…主に聞き役に回っているやつが、思慮深げにゆっくりと首を前に傾けるせいだ…高いところにのぼればさぞかしいろいろなものが見えることだろう、それを楽しいと思えるなら果てしなく飛び続ければいい、だけどもしも悲しいことだと感じているのだとしたら、いっそのこと羽のことなんか忘れて地面を歩くことを考えてみちゃどうだい?俺はそう提案してみたが奴らはそのプランにまったく関心を示さなかった、俺は少し忌々しい気分になったが、それもまあ仕方のないことだと思い直した、俺と奴らじゃ見てきたものがあまりにも違いすぎるのだ…奴らが生態的に、肉体的に感じる痛みを、俺は精神的に受け止めているのだから…傷の見えない痛みは野生の範疇には入らない、きっと奴らはそんな風に考えているのだろう…
ライブ・ハウスの前でシド・ヴィシャスにスタイリストがついたような成りをした若い男が退屈そうに立っていた、ねえ、悪いんだけど、とそいつははにかみながら俺に話しかけてきた、悪いんだけど飲み物をいっぱい奢ってもらえないかな、と言った、そいつの態度は思いのほかきちんとしていて、俺は感心したついでにコーラを奢ってやった…歌を歌いながら旅をしているんだ、と彼は言った、誰かと同じような人生なんか送りたくないんだ、とそいつは言った、そうか、と俺は答えた…そんなのはいたってよくある物語だ、とは、言わなかった、目の前にいる男はまだ成人式を終えたばかりなのだ、俺は彼が今夜ここでどんな歌を歌うのかなんとなく分かるような気がした、だから、よかったら今夜見に来てよ、という誘いには暇があったらなと曖昧に返した
本屋を出たら雨が降り始めていた、まだ傘が必要なほどじゃなかった、もっともずぶ濡れになっちまうほどの雨でもない限り、傘が必要なときなんてあんまりないけれど…北の空はマジックの種を隠しているみたいにぼんやりと煙っていた、買ったばかりのくだらないコミックを脇に抱えて、家までの道のりを走って帰った…びっくりするくらいすぐに息が上がった、だけど止めなかった、部屋の玄関で前屈みになって息を整えた、年をくったんだ、と思った、だけど、諦めなかった、今日のところはそれでまずまずっていうところだった




自由詩 まずまず Copyright ホロウ・シカエルボク 2010-06-29 22:13:40
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