「嘘は命のバロメーターさ」
と、
歌の文句に教えられ
死なないための一心で
嘘をたくさんついてきた
おかげで気がつけば
嘘は
嘘それ自体で
はばたく羽を持ち
夏の麻の
生地のように
涼しい風と
楽しげに遊ぶ
だがしかし
嘘は命の
バロメーターだと
仮にそうだとしても
いったい嘘をつけばつくほど
良くなっていくのか
それとも
悪くなるのか
そもそもそこが
はっきりと
わからないのだ
同じように
歌の言葉に
確執した
少し若い友人が
僕に向かって
音楽の作用を
語った
人を啓蒙し
人の心を
変化させ
人を
内面から
別の肉体へと再構築する
それが歌なのだと
それを信じていないと
この
24歳になって
会社の休日はすべて
バンドの練習だなどと
そんな生活は
続けられるかと
彼の
若さとはまた
違う部分に
ひそみ
燃え続ける
かわいそうなほむらは
その瞬間確かに
僕の瞳に
「鼓舞」として
ただの寂しい「鼓舞」
として
映った
夕陽の中で
田園が
ぽつんと
空を仰いでいるような
そんなものを見たような
気がした
やがて
幾組か
素人たちによる
バンドの演奏が終わり
同じ素人で
でも
経験だけは
程長い僕の
少し若い友人たちが
ステージに立つ
川の流れのようにひょろ長く
蛇行し
裁断された
ささやきのような
言葉は
ほとんど
言葉としての意味をもぎ取られ
寸断され
ステージの上で
飛び交っていた
それを
「自由」
と呼んで良いのか
「重荷を背負わされ無理に飛ぶことを強要された蝶のようだ」
と呼んで良いのか
僕は迷った
ずっとそのことだけを考えて
ウォッカトニックを
すすっていたと
言ってもいい
ウォッカトニック。
会場に入れば
ドリンクは必ず一杯
飲まなければならない
飲みすぎて
ふらふらとした足取りで
僕と少し若い友人たち
計5人は
でこぼこの階段を上がる
背中に
ギター
ベースなど
電気の力で
音を出す
機械を背負い
足取りの
ふらつきに比べ
その重さはどこかへ
飛んで消えてしまっている
「重くないのか」
「重いと思わない」
あぁ
やはりそうか
それは重くないのか
ひとしきり
うなずくと
先ほどの
裁断化され
意味の棺を
もう放棄していた言葉が
現実の滴りとして
舞い戻り
中崎町には
夜の雨が降りしきっていた
友人よ
傘を出せ
傘を
傘を早く出すんだ
この雨は
言葉の雨ではないぞ
言葉の雨ではなく
物質としての
原罪を持つので
具体的に
君を濡らし
僕を濡らし
そして君のその機械も
濡らす
君は言葉の
雨の重力に
痛いと感じたことはあるか?
それが痛かった頃から
僕は遠くはなれ
もう今は
トーストの上に塗り手繰って
食べる毎日だ
この雨の
痛さのほうが
よほど痛い
色を変え
表情を
隠していく路地が
いつもよりも難解な
立体物として
やっと複雑さを
取り戻したように
見え
数年ぶりのこの視覚に
僕は悦びを感じ
少し若い友人の肩を叩いた
言葉は
嘘も
本当も含め
命とは
かかわりのないところで
軽やかなどではない
舞を舞い
言葉は
蝶々の
羽のような
形容詞を
一番忌み嫌う
転々と
歩道沿いに続く汚れ
点滅する
路地の先の
信号機の
見慣れた色が
僕たちを誘う
だから、
ねぇ、
行こう
行ってみようよ、
どんなバロメーターも
ものともしない場所へ
そこで
言葉たち
命たちの
重りだけを
見つめてみよう
と
口の中で
飲み込み
飲み込んだあとの
僕の足取りは
もう
どんな感覚からも
逸脱を
繰り返している
※ 嘘は命のバロメーターさ、は、友部正人「おしゃべりなカラス」からの引用です。