詩集 ブルーウォーター データ
鵜飼千代子

備忘録的な散文です。
既に、天彦五男会長も筧槇二元会長も鬼籍に入られているので、お墓参りは出来ますがお目にかかることは出来ません。
自分のサイトにupした詩集データですが、エッセイとして読んでいただければと思います。
わたしの中では既に完結していることですので、ご意見等あればなんでも仰ってください。
7年前のことなので、この先を歩いています。

* * * * * * *

  FCVERSE(現代詩フォーラム)では、片野さんが版下を作って、当時先駈けだったオンデマンドで「現代詩フォーラム文庫」を作ろうという企画がありました。諸般の事情により、第1号で立ち止まってしまいました。自分でできる人は自分で版下を作りできない人は片野さんにお願いするという企画でした。

「現代詩フォーラム文庫」第1号

川村透詩集 Sukeru 詩 SOURCE 『Blue Kid』
http://www.longview.jp/pod/mb1572.htm

(現在購入できるかどうかについては片野さんにお問合せください。)

 わたしは3番目に立候補していたのですが、そのような状況でしたし、活版で手製本の本を出したいという希望も持っていました。

 また、大村はFCVERSEだけでなく、FPOEM(詩のフォーラム)で出版の部屋のスタッフをしていました。詩の出版社勤務の経験もありますので、そういう会話が飛び交っていましたから、詩集は人任せで出すものではないという素地がわたしにあったのだと思います。

 わたしが日本詩人クラブに関わるきっかけとなったのは、FPOEMでもみくちゃになっている時だったと思うのですが、招き猫さん(二瓶徹さん)に「メールをください」と会議室に書かれピックアップされたんですね。当時FCVERSEと、FPOEMに例会の案内などを広報されていましたから、日本詩人クラブの会員だということは知っていましたが、そこがどういう場所なのかは知りませんでしたし読み流していました。

 2001年 6月に千葉館山で催された日本詩人クラブ千葉大会に初参加させていただいたのですが、その時に招き猫さんが委ねた、元山脈同人の理事に「会友」に誘っていただいて、(後から知ったことなのですが、理事で日本未来派同人、裸人主宰の)五喜田正巳さんの推薦にしていただき会友に承認されました。当時同人詩誌は「日本未来派」、偉そうな人は「夢の解放区」の一色真理さんしか知らなかったのですが、日本詩人クラブに日本未来派の詩人がいることも知りませんでしたし、どなたが日本未来派の詩人なのかということも全く知りませんでした。2001年7月例会天彦五男会長の「現代詩との出会い」という講演で、会長も日本未来派、沈黙同人だということを知りました。何も知らない人でも飽きさせないお話で「みんなもきっと好きになる」と思ったので、天彦会長にお願いしようと心に決めました。「わたしの為に用意された舞台のようじゃないか!」と思ったのは内緒です。「直訴」なので、地元「宗吾霊堂」の佐倉惣吾郎と自分を重ねていました。4人の子供と共に処刑された様子は、斉藤隆介「ベロ出しチョンマ」のモデルですね。天彦会長の本名が堀田寛さんですので、天彦会長にとっては目眩がしそうな合致だと思うのですが、下々は勝手なことをするということを、その時は思い付きませんでした。

 最初に連れていかれたところが「山脈」主幹の筧槇二さんのところだったのですが、元日本詩人クラブの会長であり、驚異的発行部数を誇る「山脈」の主幹であり、元横浜詩人会会長であり、小松弘愛さんがH氏賞を受賞された時の選考委員(ほぼ、追悼集で知りました)であった筧さんの隣の席は、例会でもいつも空いていたので、ちゃっかり座らせていただいて、ひとりごとを聞かせていただいていました。職人の世界ですね。今思えば、わたしのために積極的に「ひとりごと」を仰って下さっていたような気さえしてきます。例会に出かけるといつもまっ先に声をかけていただいて、2次会にもくっついて行っていました。とても親しくしていただいていて、娘の名前を決める時にも、当初考えていた名前が少しふざけていたので嗜められて、今の名前になりました。アマゾンに掲載させていただいている筧さんのお手紙は、「どこで息を潜めているかわからないみんなが知りたいのはこういうことだ」と思ったので、無理にお願いをして「それが貴女の為になるのなら」と御承諾いただきました。筧さんも、何十年も前のようですが元日本未来派同人なんですね。http://www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/4990142918/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8&n=465392&s=books

 いろいろ詳しくはなすと、何か話さなくちゃいけない時に、あまり話すような経験を持ち合わせないわたしは話すことがなくなりますので端折りますが、ニフティーでパソコン通信が廃止されることが決まり、詩の世界の偉い人になんとかして欲しいと詩集を出すことを急ぎました。実際には年内で急ぐより、次年に持ち越した方が詩集の為には良かったかも知れません。「元旦に届いた」と仰られた方もいらっしゃいました。年末年始は長時間時代劇が楽しまれるものですので、御容赦いただきたいと思います。何も知らないので、とにかく早く早くと頑張りました。現実はそんなに簡単なものではなくてパソコン通信は廃止されてしまいましたが、多くの共感と反感をいただきました。そして、自分が必要とされている場所はどこなのか、知ることが出来たということもあります。賞を取っていないので見えないかも知れませんが、そんなに馬鹿にしたものではないんですよ。

 天彦会長の「現代詩との出合い」の講演で「詩集は男が出しても処女詩集っていうんですね。」って言われたことがずっと頭に残っていて、知らなかったから衝撃的だったのですが、わたしの「処女詩集」はどういうものを出すべきか、ということを考えました。収録されている詩は全て、ニフティーの仲間にコメントをいただいたり、コラボしたり、又、記念すべき場所に発表したみんなが親しみ深い詩にしたのですが、詩の出版社や丸善の自費出版などにもコンタクトをとり、FPOEMで仲良くしていただいていたほっとけいさん(岩田晴幸さん)にお願いして、ふらんす堂に連れていっていただいたりもしましたが、この詩集はわたしだけのものではないので、方向付けをしない方がいいのではないかと思い、「柳行李ひとつで」「手にした瞬間から色が着く」「湿式の青焼きコピーの色(本当には白焼き?)」をイメージして作りました。それでも、もっとこうしたいはあったのですが、むしろ地味な仕掛けで金額が跳ね上がるので「それは次回に」と思い今回の形にしました。

 手製本については、製本工房リーブルの岡野暢夫さん(東京製本倶楽部)に相談したところ、「印刷したものを持ってきてくれればこれくらいで(金額)出来るけれど、300〜500なら自分でやったらいいですよ。(30/500って話したかも知れないです。おぼろでごめんなさい。)」とアドバイスをいただき、まったく誰にも甘やかされない(笑)初心者の道のりです。

 あまり色々言ったからなのか、他にお得意さまの飛込みがあったのか、進行途中で忘れられ印刷が遅れたのですが、どうしても年内に出したかったので、12/28、できたてほやほやをパジェロミニで製本所までお迎えに行きました。機械でカバーをかける金額で受けてくださっていたのですが、トレース紙で機械折りだと膨らんで開くということで、500冊御主人と奥様で2重に線を入れて、寝る間も惜しんで、手折りでカバーをかけてくださったと話して下さいました。「早くて綺麗じゃないとダメだから」とにこやかに仰っていました。感謝感謝です。

 詩集をあちこちにお送りした後、初めて詩人クラブに行ったのは新年会なのですが、みなさんドン引きでわたしが時間より遅れて会場に入っていったとたん「しーん」としてしまったような気がしました。無我夢中で、詩集を作っていることを元山脈の理事以外、話をしていなかったのですが、詩人クラブの「現代詩研究会」講師の佐久間隆史さんが、「よくやった!」と轟くようないつもの大きな声で駆け寄って下さって、泣きそうになりました。ずっと側にいてくださったのですが、常々壇上から暗に色々と仰って下さっていた中村不二夫理事長が、むつかしい顔でつかつかといらして「詩人クラブに入れ。(命令)」と仰って下さいました。

わたし:はい。

中村理事長:・・・

わたし:・・・

中村理事長:本当に、いいのか?

わたし:・・・はい。・・・・・・ありがたいです・・・。

中村理事長:・・・

わたし:・・・

中村理事長:いいんだな、いいんだな! 推薦者は・・・(きょろきょろ)

佐久間隆史さん:俺がなる!

と、佐久間さんが推薦者になってくださいました。そして「現代詩研究会のみんなには送ったか?送っていないなら2月(2003年)の研究会に持ってきて配れ。」と、詩集の合評をする機会を作って下さいました。(2003.7研究会打上げ【卒業式:屋形船(あみ亀)】)http://po-m.com/forum/upfile/10/101208223416.jpg

 その後もうひとりの推薦者を巡って、中村理事長と元山脈同人の理事との(本当に?)というようなやりとりがあったのですが、それはまた別のお話。この時、中村理事長が仰ってくださらなければ、お土産だけ置いて、胸をはったまま、スゴスゴと帰らざるを得ない雰囲気だったかも知れない。そこまで面子が揃っていれば、すんなりと会員承認されたと思うでしょう?そうは問屋が卸さないわたしの知らない様々な見方の世界があるらしく、聞き齧ったことをここで書くものでもないのでモニョモニョですが、千葉大会の時からずっと見守って下さっている、温厚な日本詩人クラブ理事、千葉県詩人クラブ元会長の諫川正臣さんに、わたしたちは背中も足も向けてはいけないということが決まりました。決して失礼や浅はかな言動の無いようにしてください。

 どのタイミングだったのかはっきりしないのですが、パソコン通信からインターネットへ仲間が出ていかなければいけないことがわかって来た時に、皆が開国前夜のような不安感を持ちました。自分でホームページを作れる人ばかりであればよかったのですが、そうではありませんでした。わたしはそういう柄ではありませんし、ピックアップされてしまったので、自力でホームページを作ることが出来ないFPOEMの仲間の発表の場をお願い出来ないかと、奥さんとチャットや電話で友人関係にあったいとうさんに、奥さんを通じて打診しました。決め手は、FPOEMでの出来事なのですが、当時から両方のフォーラムにいて今も現代詩フォーラムにいる、当時高校生だった参加者が、チャットでの私的内容をゲリラ的に会議室に書き込んでしまった時に、いとうさんが直ぐに出てきてチャットでの年長は自分だったからというような内容で、謝罪されたんですね。わたしは、FCVERSEに参加した当初より、「自己責任」ということは叩き込まれていたのですが、いとうさんの行為は、社会性があると思えました。ネットを知っている今、同じことを出来るか、するべきかというのは、簡単には言えないことだと思いますが、わたしはいとうさんを頼りにしていて、天彦会長や、筧さんの詩を「同世代の読むことが出来ない仲間に読ませてあげたいので、多くの投稿者が集まるいとうさんのサイトに載せさせて欲しい。その後独立したページを作りわたしのホームページに掲載させていただき、いい加減なことが無いようにしますので。」とお願いし、そして承諾していただけた、いとうさんとのはじまりはこんな風です。いとうさんは、自分の詩集は出していませんが、BBSでの書き込みに詩ではないのですが商業出版の関係の仕事をされていると書かれていましたし、poeniqueから何冊か詩集を出されていますので、全く出版のことがわからない詩人ではないと思います。



 誰も処刑されませんし、「現代詩人はチンピラヤクザでいい!」と納得しかねる前知識があったのですが、「日本未来派」の詩人は声は大きいですが、チンピラヤクザというより、弱きを助け強きを挫く「仁侠」の世界の人だとわたしは感じています。指の数が足りないだとか、そうしたことは無かったです。(5人くらいですが、ちゃんと確認しました。)同人の水島美津江さんには、榛名まほろばにお泊りで行ったり、あちこち連れていっていただいていますが、温泉に御一緒した時に背中に牡丹の刺青などはなく、つるっつるの美肌でした。(変態だと思われると困るのでじろじろとは見ませんでしたが。)

 誰も強制回収されませんし(既に7年前の確認事項ですし)、そんな時間的余裕も無いと思うので、どなたも御自身の思うようにされるべきだと思うのですが(わたしもこれからはしますので)、日本詩人クラブが FCVERSEの次の故郷と言えるわたしでも、やはりそれ以前のPTSDは抱え続けているので、パニック発作を起こしかねないから距離をとりたいけれど、決定事項は知っておきたい方は「会友」になられたらいいのではないかと思います。いきなり会員になるより、わたしはそうでしたが「会友」で1年ぐらい「詩界」を読んだり、例会に参加したりして、ご自身の意志でどうしたいか決められた方がいいと思います。天彦会長は癌の手術をした病院から、例会の為に抜け出してきていましたから、会長、理事長、理事は実働員です。会友は読者です。

 自作詩「海路」の2枚の写真は、天彦会長のお宅の和の庭のカエルと、洋の庭のスノードロップです。詩誌に載せるので撮らせてくださいと何度目かのお邪魔をしました。わたしたちは拒絶されていないけれど、稜線を駆ける時には、八方からあらぬ風が吹いてくることは当たり前なのだと思っています。

 筧さんは、生前最後の詩集「一字の夏」をオンデマンドで出してくださり、「更科源蔵文学賞」を受賞していますので、わたしたちは「オンデマンドでは詩集として認められない」「名前の通った詩の出版社が出した詩集でないと詩集として認められない」という都市伝説はもうお仕舞いでいいでしょう。

 取りあえずここまで。書いておかなければいけないことは書けているでしょうか。   2010.6.23 鵜飼千代子



日本詩人クラブには現在、わたしと同年代の詩人は少ないです。伝統は繋げて行くものですので、人がいなければどこかから勧誘して来るのだと思いますが、7月 例会で、渡ひろこさんが新会員の朗読をされます。石川敬大さんは2008年入会です。
http://homepage3.nifty.com/japan-poets-club/event/event.htm

「俺を(わたしを)忘れてないか?!」という方は、もよりの日本詩人クラブ会員にご連絡ください。わたしにでしたら、こちらの私信からでも承りますし、出先でも声をかけてください。わたしは自分の時のこともあって、自分から声をかけるのはなかなか踏ん切りがつかないのですが(大変有り難いことですが代わりたい人がいるなら代わっていただいて、他人事として口さがなく言いたいことを言っていたかった!)、わたしのところでダメ出しをして血栓になるようなことはしませんが、わたしに承認の権利があるわけではありませんので、その点はご了承ください。わたしの主観ですが、会員になってからのことですが、内部でお尻が軽いのはいかがなものかですが、人任せにせずに活動しているので、腰が軽いのは微笑ましいように思います。年寄りが多いので、大はしゃぎしないと詩の会合の気がしない方は、もう少し年を取ってからの方が余計な気遣いをしなくていいかもしれません。逆に苦手な方は目立たなくても大丈夫です。村社会の雰囲気はあります。「気になる‥」首都圏在住の方は、まずは例会でも忘年会でも、いらしてみてください。遠方の方は、例会参加を義務づけられているわけではありませんし、地方大会もあります。来年は茨城です。アラフォー以下の若い子が少なくて淋しいので、勉強したり、先輩詩人とお酒を飲んで色々な話を聞いてみたい方はぜひ。詩は、書き方を勉強するより、詩人とお酒を飲んだ方が上手になると先輩方も仰っていますしわたしもそう思います。英語の上達はスクールに通うより、英語圏の人と交際することと、というのと似通ったところがあるように思います。(交際というのは、先輩詩人と性交渉しろということではありません。そんなことを言われたら誰かに言いつけましょう。)

*
詩集 ブルーウォーター データ

サイズ B6(四六)
ページ数 80 ページ
部数 500 部
製本 上製本(かがり)



データ制作
iMac
フォント ヒラギノ明朝Pro W3
Illustrator 3(ヤフオクで落札)
EPSデータ CD-R入稿



表紙 空押し
花布 アサヒクロース A4
スピーン アサヒクロース 17打(堅打)A38
表紙の色 DIC17版 433

本文
入稿形態  完全版下
刷色数 1色/1色 
用紙 オペラホワイトパルキー /四六 Y目/68 Kg

表紙
入稿形態  完全版下
刷色数 1色/1色
印刷方式  フィルム製版
用紙 フリッターホワイト /四六 Y目/110 Kg
表面加工  無

カバー
入稿形態  完全版下
刷色数 1色/1色
印刷方式  フィルム製版
用紙 GLトレーシング /A判 Y目/52 Kg
ISBNコード作製

とびら 
刷色数 1色/1色
用紙  里紙 せいじ 四六 Y目/100 Kg

見返し  
用紙 星物語インディゴ /四六 Y目/110 Kg

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

第2回東京製本倶楽部展<−つくる本、みつめる本−>
http://bookbinding.jp/03no2.html
出品:清水哲男 水の上衣(BBSのプレゼントで当選)/ブルーウォーター手製本/
ブルーウォーター カード集/hosisu 内容装丁全て現代詩の冊子


二瓶徹さんについて
2009.7孤独死されています。日本詩人クラブの「詩界通信」に「安らかに眠ってください」という題で、日本詩人クラブ理事、日本未来派同人、柵同人、の中原道夫さんが書かれていた追悼文で知りました。合掌。


散文(批評随筆小説等) 詩集 ブルーウォーター データ Copyright 鵜飼千代子 2010-06-24 19:41:12
notebook Home