黒い猫は巨大な鳩時計を
ホロウ・シカエルボク
内なる獰猛や、不吉な真実、そうしたものが産み出すいっさいの抑揚は、俺の魂のすべてに奇妙な烙印を残す…ろうそくの炎のようなリズム、分かるだろう、それが俺という人間のすべてだ
近くの裏通りをずっと歩いていた、黒猫が巨大で精巧な鳩時計の鳩を時報と同時に喰らいついてやろうとして小さな扉の内側に巻き込まれ首の骨を折って死んだ誰かのアニバーサリー、俺の住処の入口はプリミティブな病みをたたえた赤黒い血液で一杯だ…おまけにそいつはこの上なく凶暴で確かなおしまいの臭いを放ち続けている
昨夜は部屋中に立ちこめるその臭いを吸い込みながら床についた…俺にはその日そんな死に立ち向かうだけの気概がなかったから、これっぽっちも…夢のない眠りだったが押しつぶされそうな悲しみが枕元にあった気がする、確かにそんな眠りだった
乾いた血からは乾いた命の臭いがする、鳩時計の前に膝を突いてそいつを眺めていると奇妙なことに俺はそいつを落としたいという気持ちがあまりないことに気がついた、俺は鳩に尋ねようとしたが鳩はあれきり時を告げに飛び出してくることが無く…小さな扉の向こうでなにか譫言のようなものを口にしているだけだった
俺はとにかく気持ちの整理がつくまでそいつを片付けるのはよそうと思った、時間が経てば経つほどにそれは落ちにくくなるだろうと分かってはいたけれど…俺はもう一度鳩が出てこられるようにしようと思って小さな扉をこじ開けたら何かドロリとしたいっそう臭いものが垂れ落ちた、脳味噌か…?
キッチンに立って朝食の準備をした、トーストと、バターと、コーヒー…そんなものにもすべて、あの黒猫のおしまいが染み着いていた、死とともに飲み込まれるフード、俺はそこにクラシックなムードを感じて、笑いながらだけど決してそれを壊さぬよう気をつけながらすべてを平らげた、貰い物の苺を口に放り込んで噛みしめたとき…得も言われぬ感覚が自分の中に芽生えたことが分かった
アナログ機器のあまいチューニングのような高い周波数の音が頭頂部の辺りできぃんと鳴り響いて、まるで射精のような感覚、俺はだらしなく口を開けてよだれを垂らしてしまった、静かに身体がふるえている感覚があった、寒気を長く感じているみたいに小刻みなふるえ方だったのだが、それはまるで暑くも寒くもなく…春の始めの奇跡的な温度みたいな感じだった
そして俺は猫の目を…猫の視点を手に入れたような気がした、猫のしなやかさ、素早さが、思考の中に産まれたような気がした、ふるえが引くと、俺の身体の中にはあらゆるすべてのものがちょうどいい具合に調整されたかのような感覚があり、俺はニャーと鳴いてみようかと思ったがすべてをぶち壊しそうな気がして止めた、そしてそうした変化に慣れるまでじっと動かずにいた、ひどく痛めつけられたあとでダメージの度合いを確かめようとするときみたいに…そのとき、鳩時計が鳴り、俺は身体をひきつらせた、鳩は、何事もなかったように扉から顔を出して鳴いていた、しかし、その声は酒やけしたみたいに低く割れていた
俺は椅子から飛び上がり鳩時計の正面に走り…鳩が引っ込んで出てこなくなるまで威嚇の鳴き声を浴びせ続けた、なぜそんな風にしているのかまったく判らなかった、判らなかったがそれはごく自然なこととして脳には認識されていた…やがて鳩は扉の向こうに逃げ、まったく出てこなくなった、俺は時計から離れ、睡魔を感じてベッドに潜り込み、数時間眠った
再び目を覚ました俺は鳩時計が時を告げるたびに時計の前で喚き続けた、太陽が西に沈み世界がどっぷりと闇に浸かったころ…俺はこいつにはなんの悪意もないのだということに気付いた―こいつはなんらかの決まりに従ってこうしてやってくるだけなのだと判った―俺は一日の終わりに静かにそいつに詫びた
翌日、俺は大変な苦労をして鳩時計の周辺にこびりついた猫の血を落とした、もう鳩のことは気にならなかった、昨日叫び続けたことで喉は引っかかれたみたいに痛んだが、そこそこいい気分だった、洗剤を使って鳩時計をきれいにした、すべて終わった瞬間鳩が現れて枯れた声で時を告げた、俺は鳩に笑いかけて掃除道具を片付けた、どこか自分のすぐ近くで、甘えるように鳴く猫の声を聞いたような気がした…