川柳を誤解してた
ふるる

最近、古月さんに樋口由紀子さんという方の川柳の本を教えていただき、すごいのでびっくりして、川柳のことをちょっと学びました。古月さんの書かれた「【批評祭参加作品】ひろげた本のかたち(佐藤みさ子)」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=201266にも少し書いてありましたが、川柳って、ただ面白いだけじゃないんだなと分かりました。参考は『時実新子 川柳の学校』杉山昌善・渡辺美輪 実業之日本社 2004年発行 です。

川柳の始まりは、平安時代に広まった連歌です。最初の人が上の五・七・五を決めて、次の人が下の七・七を詠んでいくというの。その次の人は、前の人が詠んだ七・七を受けて、上の五・七・五をまた作っていきます。連歌は機知やユーモアの応酬であり、座の文芸ならではの面白さがあったとか。
それが江戸時代になると、俗語や漢語を駆使した機知やユーモアを主にしたものとなり(俳諧の連歌)、それだけでは飽き足らずに下の七・七(挙句)はなく、上の五・七・五(発句)だけを芸術の域にまで高めたのが俳句。
下が最初にあって、上の五・七・五をつける(前付け句)、その上の部分だけを楽しんだのが川柳。


雷をまねて腹がけやっとさせ

なき/\もよい方をとるかたみわけ

本降りに成って出て行く雨やどり


などは、下の七・七がはじめにあったらしいです。どんなだったんだろ。これは明和2年に発行された『俳風柳多留』という川柳の古典と言われている本の中に収録されていて、その頃から川柳の基本は、「穿ち」「軽み」「笑い」であると言われていました。
穿ちは、物事や人情の隠れた真の姿に巧みに触れること。軽みは、気が利いていてうまいこと。笑いは、(笑)、嬉しさ、面白さ、嘲笑、など、ですね。

しかしその後、川柳は性愛や色欲、駄洒落や言葉あそびの方へ走っていき、その頃は「狂句の時代」と呼ばれるようになります。そして、明治末期から大正になって、川柳を立て直そうという運動がさかんになりました。その後の戦時中に、


手と足をもいだ丸太にしてかへし

もう綿くずも吸へない肺でクビになる


などの壮絶な反戦・社会批判的な川柳を作ったのが、鶴彬(つる あきら)という人。その後、昭和40年代までは、六大家といわれる柳人が出て、みなその門下に入って川柳を作っていたそうです。

そして現代。川柳は確固たる師弟関係もあまりない個の時代となり、江戸時代の三つの基本から外れることも多くなり、今に至ります。つまり、究極は「にんげんのうた」というひとくくりになったそうなのです。
つまりつまり、「サラリーマン川柳」や「時事吟」などの、面白い、気が利いてる、というだけが川柳ではないと。本の文章を抜粋しますと、

「サラリーマン川柳のすべてが、悪い句ばかりだとは申しません。(中略)しかしその多くは、『あはは』と笑える軽さはあっても、しみじみ胸を打つものはほとんどありません。こうした作品だけが『川柳』だと思われては、川柳がかわいそうです。(中略)性別不詳でふざけたペンネームで発表されている点も気になります。とても『文芸作品』と思って発表しているとは思えません。」
「新聞の時事詩吟についても、いいたいことがいっぱいあります。まるで雑誌の見出しや、キャッチフレーズのような作品。(中略)そういった作品が毎日、新聞の社会面で使い捨てのように掲載されています。しかし、本来の『時事吟・社会吟』は、もっと『今』に生きる人間の本質を衝いたものなのです。」

知らなかったよ!ぜんぜん。ごめんね、川柳。(古月さんが紹介した佐藤みさ子さんの川柳は、本流ではないのだと思ってた・・・)

ところで、このご本によりますと、俳句と川柳の違いは絵で言えば、俳句は風景画、川柳は人物画、なんですと。俳句の基本は写生といって、「私」を退けて見たままを表現することですからね。とは言え、対象の選び方やどこを見てるか、どう言うかによって、作者の色々が垣間見えちゃいますが。近年では両者のボーダーが低くなって、区別がつかないという声が両サイドからあがっているようです。
あと、大きくは俳句には「季語」や「切字」(かな、や、けり、などの句を終わらせる言葉)があるけれど、川柳はそれらを必要としない、というのもあります。
あと、俳句だと「感情を抑えて」「控えめに」と言われるところを、川柳は「もっとオーバーに」「もっと突き詰めて」表現する、のだそう。俳句が10あったら7しか言わないのに比べて、川柳は12くらい言うんだって。なーるーほーどー!

知らなかったよ!ぜんぜん。まあ、一概には言えませんが・・・。

あと、へえーと思ったのは、川柳は書いた後に、必ず作者の名前をつけて、それも作品の一部になる、というの。抜粋しますと、「つまり、女性の詠んだ句、男性の詠んだ句として、句は歩きだすのです。(中略)現代川柳は、作者名と性別を持った川柳なのです。」って。うーん、これは・・・こんなところで性による制約がついちゃうとは。別に女性が「俺」「僕」という人称で書いてもいいんだろうけど。作者の性別って、すごく読む側としては気になりますけどね。
名前については、そもそも、江戸時代の川柳というのは、作者不詳みたいなペンネームじゃないとお上に怒られるからそうしていたのだけど、今は言論が自由な時代なんだから、ちゃんと名乗ろうよ。というのも、分かりますね。
ついでながらつけたしますと、川柳MANOhttp://ww3.tiki.ne.jp/~akuru/の15号で樋口さんが書いていらっしゃいますが、「私性川柳とは作者がみずからの体験や感情を、ありのままに報告したり、説明したりするものだけではなく、また、そう読むべきでもない。」「川柳の私性とは「私」から発する物の見方を出すことである。」(川柳における「私性」について 樋口由紀子 より)と。私もそう思います。作者が女性だからって、女性はみんなこうだとか、作者がほんとにこういう体験したんだ、って思うのはよくないですね。これは、短歌でも、俳句でも、詩でも、同じだと思う。

最後に、この本の中から好きなのをいくつか。


秋風に傷なきものはなかりけり

恋人の膝は檸檬のまるさかな

(橘高薫風)



母の日のうすぎぬ脱いでちょっと死ぬ

ほんとうに刺すからそこに立たないで

(時実新子)


ちなみに、私がびっくりした樋口さんの句はこちら。↓


だんだんと箪笥の上が乾いていく


(セレクション柳人 樋口由紀子集 邑書林より)
え・・・っこれだけ?これだけが、いいよ!このしっとりからっとさ加減。私は、詩の中に「わたし」って入れるのがすごく苦手で、いつもあっさりさっぱりそれでいて印象的なものを書きたいと願ってるんです。


いいね!川柳。


散文(批評随筆小説等) 川柳を誤解してた Copyright ふるる 2010-06-22 11:28:36
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