新橋烏森口のひと
恋月 ぴの

えっ、ここなの?

翔太さんに背中押されるようにくぐった暖簾
彼とはじめてのデートだしお洒落なイタ飯屋さん期待してたのに

お母さん、ただいま!

彼の挨拶に笑顔で答える和服姿の女将さん
勧められるままに彼女の真向かいにふたりして陣取った

やっぱはじめはビールだよね

ぶっきらぼうに注ぐ手つきが男らしくて
めったに口をつけないビールが美味しくいただけた

新橋駅烏森口SL広場をつっきり路地へと歩めば昔ながらの飲み屋街
奥まったところにはコンクリート造となった烏森神社の社
日の高いうちは寄る年並みに勝てぬとばかり疲れ果てた様子窺えるものの
夕暮れともなれば打ち水と盛り塩に昔と変わらぬ活気を感じ

女将さんのことをお母さんと呼ぶ言われを知る

高校へ進学した年に急な病でお母さんを亡くした翔太さん
山岳部の先輩のつてを頼りに就職した事務機器販売会社の新入社員歓迎会
二次会流れで上司に誘われたのがこのお店だったのだとか

飾り気の無い手料理の味わいと細やかな心遣いに在りし日の母の姿を思い
それからは毎日のようにお店へ通っては女将さんに面倒をかけてしまっていると話してくれた

忙しいのにさぞ迷惑でしょう?

そんな私の冗談に女将さんは笑いながら首を振り

紹介してくれるって話してた意中のひとってこちらの方なのかしら

女将さんの問いかけに照れくさいのか一気にグラスを空けるのど元は男らしくて
時の経つのを忘れ三人であれこれと話し合ったあの日がとても懐かしい

浜松町へ立ち寄る途中で新橋駅へ下りてみた
以前と変わらず広場には機関車展示されてはいるものの
翔太さんと暇つぶしに立ち寄ったキムラヤはとうに無くなっていた

あの事故から早いもので5年も経ってしまった
OBとしてパーティーに参加した三国山脈谷川岳への登頂
後輩をかばいながら滑落していった彼の消息は未だ確かめられないままで
雪解けの季節になると気がかりでならないのだけど

あのお店まだやっているのかな

たとえ開店前だとしてもお店の様子ぐらいはと思ってはみたものの
幸せだった日々の思い出まで失ってしまう不安にかられ

まるで追っ手から逃げるようにして山手線外回り最後尾車両へ乗り込んだ



自由詩 新橋烏森口のひと Copyright 恋月 ぴの 2010-06-21 21:12:18
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