天の川/銀上かもめ
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おっぱいの先を隠して生きていく
銀上かもめさんの詩にはよくおっぱいが出てくるような気がするが、あんまりいやらしくない。むしろ開き直ったすがすがしさというか、健全さすら感じる。
さてこの句だが、なんだろう、もっと他に隠すところはないの?という感じがある。聞いた話で恐縮だが、裸を見られたときにどこを隠すかに国民性が出るという。日本人の感覚では、やはり胸と性器だろうが、文化によっては顔を隠すとか。
人間は生きていくうえで、みな何かを隠して生きていく。この句には、そうした人間の悲哀と、「どこを隠すか」ということを考えさせる楽しさがある。ここでは「おっぱいの先を」だが、この「先を」がおもしろい。それは別にどこも不自然ではないし、理解できる感覚なのに、想像してみれば何故か、なんとも珍妙かつ滑稽なのだ。
また、この句のまっすぐに言い切るような語り口が、やはり絶妙な味わいに結びついているだろう。堂々と背筋を伸ばし、誰に恥じることなく、おっぱいの先を隠して生きていく。
そんな人間くささが、この句の持つなんともいえない魅力なのだ。
ほんとうは 知らないことをはなしてる
ペガサスを知らない人に教えてる
この二句は、ともに同じようなことがらの裏表について書かれているように思う。
群盲象を撫でるような社会のことを風刺しているようでもあるし、無知の知とでもいうべき哲学について書かれているようでもある。
大衆は、自分たちが生きる社会や、ともに生きる人間、いつも使っている道具、言葉、文化、習慣、それらについて、何も知らなくても生きていける。ただ、うまくやっているように見えていれば、それはうまくいっているのだから。
自分がほんとうは知らないことをはなしていても、相手がペガサスを知らない人で(それは正確に伝達されなくて)も、社会は知らん顔で回っていくのだろう。
標語的ではあるが、綺麗にまとまっていて、気持ちのいい句である。
関節をすこしのばしてキスをした
一見、内容的にはとりたてて目新しさはないように思うが、「関節をのばす」という言語感覚は新鮮だった。
一般的に「〜〜をしてキスをした」の「〜〜」を埋めろと言われた時、背伸びや、爪先立ちのイメージといったものは比較的容易に出てくるだろう。だが、「間接をのばす」というのはなかなか出てこないのではないだろうか。
キスをした、という恋人同士の微笑ましい光景に、なんだか蛇のようなイメージが被ってきて、にゅるりとした微妙な気持ち悪さを感じる。
そして、その気持ち悪さは脳内で「キスをした」という言葉を多義的に変容させ、「キス」という軽い語感にもかかわらず、蛇の長い舌がちろちろと相手の舌に絡みついていくようなイメージを想起させる。
ポップなのにどこか陰のある、作者らしい句になっていると思う。