借りた詩集 東 直子の歌集
ふるる
東 直子著『春風さんのリコーダー』(有)本阿弥書店
同『愛を想う』?ポプラ社
借りてきました。
『春風さんのリコーダー』は東 直子の第一歌集。この方、ファンも多いし、みなさんベタ褒めです。そんで読んだらやっぱりすごい。栞にも「東氏の言葉の柔らかな輝きははDNAに刻み込まれているもので、才質の輝き、」(詩集栞「東さんのこと」小林恭二 より)と書かれているように、生まれ持った特殊な感覚、特殊な表現方法を持った人、という感じがします。
何か、現実の人が夢を見ているのではなく、夢の中の人が、現実を見ているような。以下に紹介いたします。
真夜中をものともしない鉄棒にうぶ毛だらけの女の子たち
こわれもの預かってます木村さん あなたの眠るベッドの下で
冬服のたくさんかかった和室には小さいひとの悲しみがある
うすばかげろういろのはんかち胸にいれ草庵へゆく草庵は春
うーん夢の中の人、っていうか小人かな。もちろんそうでない印象の歌も多いですが、私が好きと思ったのはこういうのでした。
東さんはまた、オノマトペも非常に素晴らしい。
お別れの儀式は長いふぁふぁふぁふぁとうすみずいろのせんぷうきのはね
みずうみの底にしずんだトロフィーに沢蟹親子りるりるすべる
なつのあさ彼女ほつりと目を覚まし繭やぶるごと館出てゆく
うーん、聞こえるし、見えるし、空気感も伝わりますね。「りるりるすべる」だって!なにそれ!オノマトペの可能性を見せ付けてくれます。さらにさらに、葬式の歌に扇風機の羽、沈んだトロフィーに沢蟹の親子、館に繭と、この組み合わせ。この目の付け所。真似したくてもできませんね。
ところで。
栞の評論に、「極論すれば、言葉(特に口語)の音楽的な味はひを楽しませてくれる歌集である。そのため、意味は時折犠牲にされている。」(詩集栞「<音楽>の発振装置」高野公彦 より)とあり、私もそれは思いました。そればっかりじゃないけど。
私はあまり詩の意味するところに重きをおかないのですが、音やリズムの面白さというのは、ちょっと見わからないくらいがいいのかなあと、思いました。
例えば
新年はさくさくとろん辻堂にゲイラカイトを上げにゆきます
ええそうよそうそうそうよそうなのよ炭素のような祈りの美学
夏といえば ゆるみっぱなしの輪がとれて駆け出すフェイク・アフガン・ハウンド
などは、音やリズムが面白い。面白いけど、そのために作られたという感が否めない。
そのためだけではダメなのかな?ダメじゃないけど、他のがいいので、ちょっと浮きがち。という感じです。もちろん成功しているのもあります。
「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの
こちらなどは、「そらまめ」という語感がさびしいので、さよならのたたみかけもいいし、「ま」の連続が豆に見えたり、その後に来るさよならをやさしく包み込んでいるようにも思える。二度目のさよならしたの、の前の一文字開きもニクイ演出ですね〜
ああ、何か、歌に込められているもの、言葉の役割が重層的であったり、技が利いていたりすると、いいなって思えるのか。読者はよくばりですね。
続きまして、『愛を想う』は恋愛がテーマの短歌集。木内達郎氏の版画?シルクスクリーン?が沢山挿入されていて、これがとてもいい。爽やかアメリカンな空気を感じます。
よかったのを抜粋いたします。
泣きながらあなたを洗うゆめをみた触角のない蝶に追われて
ハルニレのあの丘にきてふりかえる犬はどんなにさびしいだろう
ひさしぶりのさよならですねゆく街のゆくさきざきで君がゆれてた
一首目、・・・触角のない蝶ってなんか怖いぞ。
二首目、どんなにさびしいんでしょう。「ハルニレ」って儚くも優しい響きですね〜。犬って、飼い主のことすっごく好きだからよけい切ない感じ。
三首目、好きな人に似ている後ろ姿ってどきっとします。というのを思い出した。
うーん、お別れの歌ばっかりだ。万葉の頃より、歌といえば悲恋です。悲恋ってなんでいいんだろう。何で?かつて、詩人村野四郎は即物主義に触れて、「もう詩でめそめそしないですむ」(←叙情を言わなくてもいいんだ、という意味)と喜んだらしいのですが、そう、めそめそ・・・詩の基本が悲しいとかさびしいだからかな。嬉しくって楽しくってもってもてでイエー!っていう詩はあんまりないし、ウケないものね。(三代目魚武濱田成夫氏の詩はすごい自分をリスペクトでしたが)詩ってやっぱり、つらい時に詠んだり読むもんなのか。そういう常識?
おわりです。