ヘル・ヘイ・ブン
影山影司

 スデに下地は出来上がっていたのだ。
 国民は特定の信仰を持たず、国家に蔓延した宗教は凡そ全ての神を赦した。偶像を掲げる隣で天使祝詞を読み上げても、スパゲッティモンスターについて議論しながら東方へ頭を垂れても赦される。
 第三世界および中東などの紛争地域では夢にも描けない、永久戦争放棄というルール。
 そしてその上に成り立つ、世界最高の自殺率。

 天国で地獄のように暮らす人々の国が、ヘルヘイブンと呼ばれるようになった。

 『自殺権を認める』『自殺券を行使せよ』『自殺圏は日本国内に限定される』
 国際法及び日本国憲法に記載された文章を要約するとこの三点に絞られる。前世紀、極一部の国において認められた安楽死(現在、断罪目的で苦痛の死を望む人間もいるためこの言葉は使われない)は日本でのみ認められることとなった。
 抗議活動は様々あったが、「安楽死は医者に殺人許可証を渡さなくてはならない」といった理由を筆頭に、次々に言論粛清が進んだ。自国の高所得者が殺人に手を染めるのは許し難いが異教徒の日本人が殺人に手を染めるのは彼らの自由である。
 自由主義国家はこの点において非常に率直であった。彼らはもうずっと前から、背負った苦しみから逃れる方法を心得ていたのだ。罪を告白することより、貴い言葉を一つ覚えるより、ショットガンだのマグナムで、脳味噌をぶっ飛ばした方が『救い』となるのだ。救いは広く蔓延し、彼の国で銃の使用法といったら、護身や強盗に使うよりも随分多くがそれに使われていたのだ。
 ヘルヘイブンがあれば、もう一夜漬けの試験勉強で銃器所持許可証を取得して、寝不足の足で銃器店に立寄って「スカっとぶっ放せるヤツをおくれ!」なんて言わなくていいんだ! 素敵な論理がそこにあった。素敵な倫理もそこにあった。すぐさま直行便が、パックツアーが、弁護士が、権利が、整えられた。

 もちろんヘルヘイブンは無法地帯ではない。あくまで、『自殺権を認める』のであって、それは法の内の行いなのだ。苦しみながら生きる、というヘル(Hell)からのヘイブン(避難所)であるのだから、むしろそこで行われている事は慈愛に満ちている。
 近年コアな人気を集めているのは嶋本昭三風の死である。
 沖縄の東端に位置する島を、真っ白なコンクリートで覆い、上空ヘリコプターからめいめい思い思いのタイミングで飛び降りる。コンクリートに叩きつけられた肉体は生命のしぶきを上げて爆ぜ、周囲に色鮮やかな痕を残す。希望者には落下痕の写真撮影の後、遺族への配送サービスもあり、これは主に若者が好むサービスとなっている。あるスウェーデン人の婦人(65)は、些細な事件でふさぎがちだった息子の破天荒な描画に、思わず涙を流して喜んだという。
 廉価な死を好むのであれば電車というものが人気だ。
 これは日本国が誇る移動機関である電車をサービス器具に発展させたもので、日本国民もまた、この方法による死を好んでいる。日本国民を満載し、鈍重かつ豪速で進む『電車』の脚は屈強な鋼の車輪である。鋼の車輪は乱杭歯のような線路を深く噛み、ぎゅおんぎゅおんと唸りをあげて回転するのだ。そこへ身を投げれば、一秒とかからずに人体は粉砕、圧迫、分断、飛散、バラバラの身体となるのである。以前は飛び散った肉体が付近に居た人間に接触、悲惨な事故を招いたこともあったが、現在は同様の事件が起きないようにきちんと配慮されている。線路周りは耐久力に優れたラバーシールドに覆われており、ところどころで飛び降り孔、と呼ばれる入り口が設置されている。このラバーシールドがあるおかげで、轢かれた肉体は周囲へ飛ぶことなく優しく受け止められ、それがまた電車によって細切れにされるのである。
 「日本人はサイコーにクールだね。なんだっけ。日の丸? アレって電車を真正面から見た姿をイメージしてるんでしょ? もちろん見てる本人はすぐに死んじゃうんだ。こんなスゴイ国旗、他に無いよ!」と興奮気味に語るのはロシア人のヴァリアスキー。彼はこのインタビューの直後、自身も電車によるサービスで最期を迎えた。
 薬殺(LSD、ヘロイン、その他ドラッグによる多幸死)や刑死(絞首、電気椅子、銃殺など、かつての罪人に無料で施されたサービス)を望む人間も少なくないが、「最期は自然に囲まれて」といった好みの人間にはフジヤマジュカイが人気だ。こちらはオプションサービスで十字架や茨の冠など、各種宗教的シンボルの併用も多い。特殊な電磁波と、土着の磁気を帯びた鉱石、これらが人間、測定器具、ありとあらゆるものの方向感覚を狂わせ、生涯脱出不可能の森林探索を楽しめる。当然ながらこちらは途中キャンセルは認められない。

 ヘルヘイブンにおいて、地獄やHELL、その他死後の苦難は存在しないと言われている。輪廻や天国、または死後の『無』があったとしても、苦しみは存在しないのだ。これは世界中の自殺を禁じている宗教も同意しており、バチカンの法王も公式宣言を出している。
 同様に日本国民は国民総従事者であるため、彼らにも死後の苦しみは存在しない。
 人類はここに来て、初めて天国へ近づけたのかもしれない、と有識者は語る。
 こうして誰もが幸せに生きていける世界が誕生しつつあるのだ。


散文(批評随筆小説等) ヘル・ヘイ・ブン Copyright 影山影司 2010-06-15 05:11:36
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