スピカ
ねことら








スピカ、昔の話をしよう




ネットカフェで安物の映画を見たね
白黒で、音質も悪くて、それでも
主人公がさいごにひっそり自殺するシーンは素敵だった
アパートの給水塔のうえで
微速度撮影みたいにくるくる表情をかえる街と空を背景にして
「くたばれミジンコ」だってさ
ピストルの引き金のおろしかたは確実、かつ迅速でクール
せかいじゅうにむけて引き金をひくとき
ぼくらもきっと、さいごはお互いむきあって
それから、ぼくは君に撃たれるのを望むだろうな
きみは溶けかかったアイスを指で掬って舐めながら
こちらなんて見向きもせずに
古いペーパーバックをよみつづけていた



スピカ、ぼくらの会話はいつも泡みたいで
たとえるならペプシコーラ、それは合成甘味料のぜつぼう
髪の毛をねちゃねちゃさせながら
引っかけあって遊んでいた
朝にはきりり、とマイナスもプラスも充填して
夕暮れにはさっぱり使い果たしていた
けいさんなんてわたしらぜんぜんできないよね
うん、それでいいし、それがいいよ



スピカ、君は親を知らない
だからかもしれない、君は
火の出るような目をしている
お守り代わりにしていた
大好きなヘレンケラーの伝記には
オレンジ、青、ピンクの蛍光ペンで
たくさん線が引かれていた
賑やかな遊園地みたいでしょ
そうやって笑う君の笑顔には一点の曇りもなかったね
ウォータ、ウォータ、
どうかこのやさしいひとを
あかるいほうへ導いてくれますように



大通りが苦手なぼくらは
鄙びた公園のベンチや
地下鉄の薄暗い階段にすわりこんで
ジュースを片手にふわふわと恋の話をした
それは終わりのないなぞなぞごっこだった
きみはルーレット付きの自動販売機が好きだったね
もう、そういうのは時代遅れだったし
たまに見かけても錆の目立つぼろぼろのやつで
硬貨を入れて作動しないことも珍しくなかった
けど、ちゃんと動いて、そして当たったりしたときには
君はまぶしいおもちゃみたいに
もう、おおはしゃぎして喜んだね
そして、すぐに当たったジュースをぼくにくれた
幸福ははんぶんこずつ
ルーレットは弱い点滅をくりかえして
いつか必ずどこかの的にとまる
必要なのは、たぶん受容することだけだ
ということ



ある日、ずぶぬれの君がぼくのアパートをたずねてきた
電池の減りが激しくて空っぽだ、わたし
そうか
帰る場所なんてはじめからなかったんだ
そうか
君は細く尖って凍えているのに
ぼくはといえば、粗大ゴミと間違えて
言葉を処分してしまった愚かなトドのように
曖昧な返事を繰り返すことしかできなかった
君にはきっと、暖かい毛布と
ミルクをたっぷり入れたココア、そして穏やかな休息が必要だった
ちょっと待って、と動揺を隠して、ぼくは
バスタオルと毛布を取りに走った、それこそ全速力で
けれど、ふと振り返ったら、もう君の姿はなくて
玄関には折れたビニール傘だけ転がっていた
なにかに敗れた勲章のように
開け放たれたドアから、雨が容赦なく降り込んでいた
寒い夜
ノイズのような雨音
ノイズのような、



君のいない夜にも体積はあって
闇雲にぼくは水しぶきをあげた
弱く瞬く救難信号のように
そして泳ぎ疲れてふと立ち止まる
スクランブル交差点の真ん中で
地下鉄のプラットフォームで
どこにいても音があふれて
君の声だけが聞こえない



慣れないウイスキーを飲んで
ぼろ布のように酔っぱらって帰ってきたある夜
君の不在を悼むように
ぼくは残していったヘレンケラーの伝記のページを繰った
カラフルな蛍光ペンの跡が
君の調子外れの歌のようで
なんだかあたたかくて泣きそうになる
本の終わり、最後のページの余白に
見覚えのない走り書きを見つけた
毛虫の跳ねたようなくせ字、君の字だ
前に見せてもらったときには
書かれていなかったはずのそれは
数行の短い詩のようで
誰に宛てられたものかもわからない
やさしいメッセージだった
声に出してなんども読んだ
今度は少しだけ、泣いてしまった



勝手に読んだことがばれたら
スピカ、君は怒るかもしれないね
火の出るようなきらきらした目で
ぼくを笑ってにらみつけて
だから、中身はなにも明かさないようにするよ
ないしょばなしもはんぶんこずつがいい
スピカ、きっと、いつかもう一度出会って
たくさん話をしよう、泡みたいな言葉で
せかいじゅう敵にまわすにはどうしたらいいか
確実、かつ迅速にひきがねをひく
いい方法を一緒に考えよう


そして、微速度でまわるおおきな円の中心点で
ふたりぼっちの夜を
ようやく手にいれることができたなら
そのときは





スピカ、ぼくらのこれからの話をしよう








自由詩 スピカ Copyright ねことら 2010-06-13 18:21:52
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