千桜
黒木みーあ
俯いていた顔を、窓の方へ向ける。たぶん、うちの親あたしのこと産んだの後悔してるんだよね。と、千桜はベッドの上で足をぶらぶらさせながら、けだるそうに語尾を伸ばして呟いた。
「最近、さ、変な季節多いよね。今日なんて、雨とか言ってたくせに、めっちゃ晴れやん。うちの母親、朝雨降るから傘もっていけってうるさくてさ、仕方ないからうっさいなとか言いながら傘持ってってさ、結局これよ。さっきの、見たでしょ。申し訳なさそうにあたしに謝るの。で、こんな娘とか、絶対、ほしくないよね。って、今なんとなく思ったんだけど、さ。」
( ぶらぶらしていた両足が、たまに勢いをつけたりしながら、ベッドの側面をばったばったと鳴らしている。さっきから、どこを見ているのかわからないような目線で部屋の中を見回していた千桜、と、突然目が合う。なんとなく、思って。わたしが、一緒に死んでもいいよと言って笑うと、お言葉に甘えますかねと言って、千桜が笑いながら突っ込んできた。
そのままもみ合いながら、千桜はわたしの腕に、わたしは千桜の腕に気を使っているのが互いにわかって、またふたりして、大声で笑った。
*
その日、わたしたちは学校で上着を脱いだ。最初に言い出したのは千桜で、わたしも、別にもういいかなって、思っていた。急に春らしくなってきたせいか、少し暑く感じていたのもあった。
千桜は、やば、うちらちょっとミイラみたいじゃね、と言って、両腕の包帯を手で撫でていた。開け放った窓からは生ぬるい風が、趣味の悪い黄土色のカーテンを揺らして流れ込んでいた。その向こう側、校庭の桜の木も、同じように揺られ、無数の花びらが宙を舞っている。
ねえ、今週末花見しよっか。なんとなくそう思い口に出すと、千桜も窓の向こうに目を向けて、良いねぇ。と、お酒を飲む仕草をする。( その後ろから、他クラスの子が数人、わたしたちを二度見して通りすぎていく。
「っていうか午後の授業、ゼッタイ教師につっこまれるよね。あえて聞こえないフリで押し通すとか、やっぱしダメかな。」
二の腕の方まで巻いてあるわたしの包帯の端を止め直しながら、ワンテンポ間を開けて、千桜が笑った。
*
部屋の中、ちらばったままのほどいた包帯の白色が、千桜の首筋辺りから射し込んできた夕焼けの橙で、うっすらと染まる。時々、長い沈黙になることがあった。つまらないわけでも、雰囲気が悪いわけでもなく、ただ、ふたりで黙り込んでいるだけ。
千桜は立ち上がって窓を開けて夕空を見つめている。目の前の道路を、通り抜けていく雑音がちいさく反響を繰り返しては、どこかへと消えて行ってしまう。
突然、階段を上がってくる音がして、反射的に身構えた。千桜もドアの方を向いて、わたしと同じように身構えていた。足音は、わたしたちの居る部屋を通り過ぎ、別の方へと向かっていく。
千桜の方へ向き直すと、千桜がわたしの方を見ている。わたしも、そのまま千桜の顔を見つめてみるけれど逆光でよく見えない。一瞬、雑踏が途切れて、その後すぐに足音がまた階段を下りていった。
*
平日の、しかもお昼時だからか、近くの桜祭りの名所でさえあまり人が居ない。結局わたしたちは午後の授業を抜け出して、お菓子両手に花見にきている。
「 ね、うちの名前さ、千の桜で、ちはるじゃん。思うんだけどさ、花の名前付けられた子共って不幸になる確率高いよね。桜ですよ?しかも千ときた。そら勝てんわー。」
千桜は両手を上げ、桜を前に伸びをしている。
わざわざ家に戻り、こっそりと持ってきた雨ガエルらしき絵が入った黄緑色のシートを広げると、千桜が四方にお菓子を置いた。なんと贅沢な重りだと思わず呟くと、また二人で笑った。わたしはレモンチューハイの缶を開け、紙コップに注ぎ缶を袋に隠した。
風が吹くと、花の香りが土埃と一緒に舞いあがる。遠くの方で、金鉄バッドの高音が空に響くと、平和な声が湧きあがる。隣で寝転がる千桜の髪の、シャンプーの匂いが鼻先をかすめた。
「――さてはアロマシャンプー。」
「はーずれ、今日はダヴでしたー。」
加えていたスルメで、千桜がイニシャルを空になぞる。D・・・a・・v・・e。
デイブ。
すかさずわたしが、加えていたチーズで手直しをする。D・o・v・e。
これが、ダヴ。
*
夕空を見つめる千桜の頬に、なんとなくわたしはキスをした。それから、ほんとうに一緒に死んでもいいと、またそっと耳打ちをした。橙色に染まった千桜は、わたしの顔をじっと見つめた後、同じようにわたしにキスをした。
窓の外では、陽が建物に反射してこの家の庭先付近を照らしているのが見える。遥か先を直視すれば眩しく、夕陽は、落ちていく間際で破裂して、そこらじゅうに散っていた。
わたしは、まるで世界の終わりみたいだと、
急に得体の知れない不安に襲われた。千桜は、そんな終わりをずっと見つめているのだ、と。
((( 桜の花びらがわたしたちの目の前をいくつも流れて、わたしたちはただ手を出して掴もうとしていた。幼い、子供のように。千桜は、わたし以上に酔っていて、いつの間にか瘡蓋だらけの腕を顔に当てながら、ちいさく嗚咽をもらして泣いていた。その隣でわたしは、わたしは何も言わずに、ただどこまでも先の見えない青空を、見つめていた。
――いつか、二人で死んだらまた、
一緒に花見しよ。
突然、振り向いて千桜が笑う。
いつの間にか泣いていたわたしの隣に座って、赤くただれたわたしの腕に手を当てて、そのまま何も言わず一緒に、ただ言葉を、失くしてくれた。
陽が落ちてから、夜が来ても、ただ傍で、ずっと。