PPW用/不在の時代(みひろちゃんへ)
モリマサ公

てゆーか覚悟を決めてほしいなこれは
いい意味でエンドレスな不安の話だ
まず重心をひくくかまえてコンセプトを叩き込む
さりげなくサバイブする自分らしさで
クリエイティブな脱力系ポエムとかもちいてポジティブになる
とかいう宗教的シューティングゲームにゃもううんざりなんで
ハロー「不揃いなこころたち」の引力にあきらめず耳を澄ます
コトバたちの安全装置をブラのホックみたくなにげなく外して
「またあしたねー」なんて
きみらと共存する時間が動きつづけて
ありえてもありえなくても
さけられない日々のアクションとリアクション
ジャンクションで消えるまえのミラクルのゆくえについていく
「ご存知ですか?きみたちがいま本当はどこにいるのか」
考えてみた事はありますか?「生きる事の楽しさ」って
本当はなんのことかなんてわからないまま
「この会場には5キロのプラスチック爆弾がしかけられてるので
もし私の要求がかなえられなかった場合
我々は死ぬのです
すみやかにヘリがこないかぎり
我々は死ぬのです」
何度も繰り返されたあのセリフもこのセリフも
大事な事を忘れないために歩道橋をわたるたびにくりかえすんです
何度も
何度も
「また
あしたねー」って
だからもうそんな問題じゃあないんじゃないんですか?って
常に我々が被害者であり加害者であることなんか
つまりプロセスでありつづけることに一生懸命になりすぎて
もうコンテンツのままもうどうしたらいいのかわからなくなっちゃって
思い切ってセミヌードに挑戦しましたって
わくわくしながらいえるのは一回だけなんで
どっちかっつうと切実さとのコラボを極めてるのはむしろ「またあしたねー」なんて
そういう保証のない感じが
ますます勢いにのれてて普通に確実にすごい不安なんで
サンデーのたびに進化するファミリーに
液晶はいままでよりもっとスムースに愛情をリアルに提供するのも
現在に肉迫するための手段でしかなくて
「またこようねー」って
そういう方法とかももうどうでもよくなっていくのに
「悲しんだり痛んだり判断するのは私ではない」 ので
悲しむべきは民衆で
痛むべきはオーディエンスで
判断すべきはあなた自身なので
やっぱ
「ここを通ろうという者は一切の望みを捨てよ」
とかかれたゲートをくぐる
リリックとは
この沈み行くセカイのまっ只中で自分自身の没落に気づき
夢の中で「覚醒の夢」をみることだ
観客にとって旋律と退屈が一体化された二次元論を超越できる強さが
くるべくリニアワールドをソリッドに可能にする
絶対的他者としての現実セカイ
「またねー」
時代のサンプルとしてのイメージをもつコトバたちを買い歩く
今をリアルに演じようという切実な希望でもって
立ち続けているのだから自分が正気でいられるのはほんの一瞬で
むしろ狂気に見えるその瞬間に身を投げることが正しい事も知ってる
決定的なものいいは今まさに明確な嘘だといえる
だから
「またねー」
とかいう日常を
流し込む痛みのために論点がずれていくのがきもい
センスとバランスが現在をしのぐマストアイテム
史上最大のコタエなんてものは到来しない
むしろつっこんでハッピーエンドで
ここがスタートだとしたんだったら
やりとげることだ

「またねー」


   





http://www.youtube.com/watch?v=nGgB-QJPsyg&feature=related
 


自由詩 PPW用/不在の時代(みひろちゃんへ) Copyright モリマサ公 2010-06-11 02:34:56
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